天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

「百万本のバラ物語」加藤登紀子

 百万本のバラという曲は、加藤登紀子さんが歌っていて、いい曲だなと思ってたらたまたま二胡譜の本の中にあったので、時々弾いて楽しんでいた。1月に見に行った大希奇展というのに、加藤登紀子さんも見に行って、満州帰りの船を待つ葫蘆島の絵の中に私もいる、と言う言葉を残していた。そんなこともあり、帯に「歌を通してつづるロシア周辺国の激動とそこに生きるひとりひとりの物語」とあるので、今進行中のロシアの侵攻のこととかウクライナのこととかも何か書かれているかなと思って読んでみた。

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 加藤登紀子さんは、ハルビン生まれで敗戦で引き上げるときはまだ2歳くらいだったので、逃避行がどんなに大変だったとかは実感と言うより、連れて帰ってくれたお母さんの話から。そうだんだなという記憶に残っている感じだ。自分も2,3歳の頃ってぼんやりした記憶があるがはっきりとは覚えていない。言葉も満足に話せないが何となく見た風景とか、周囲のやりとりは分かっていたようだ。

 ともあれ、ハルビンでの生活はどんなだったかというと、亡命ロシア人、モンゴル人、地元満州族の人たちに朝鮮族、そこに日本人が入って、いろいろな人種の人が入り混じって暮らしていたらしい。満州帰りと言うと、苦労したのは開拓団として送り込まれた人たちの話を多く聞くが、加藤さんの場合は開拓団ではなく、 お父様が日露協会学校(ハルビン学院)というところに行っていた。在学中に柳条湖事件が起きて兵隊にとられたが、その後現地で仕事を求め、満鉄社員になった。詳しいことは、お父さん、お母さんがそれぞれ自伝を書かれているということです。

加藤幸四郎:「風来漫歩」

加藤淑子:「ハルビンの詩がきこえる」

 と言うことで、登紀子さん家族はロシア文化に親しい。引き上げの時の苦労話はここではさておき、お父さんは引き上げ後、音楽関係の会社勤めの傍らスンがリー飯店というロシア料理店を開業した。今は新宿に移って現在も家族に引き継がれている。一度偵察に行って見るかな。

 このように満州生まれと言ってもロシア人との交流があり、「百万本のバラ」という歌も、元々ラトビアで作られて、ロシアでも流行した経緯があったそう。絵描きが美しい女優に片思いした気持ちを歌にしたものだが、自由な生き方を求めるロシアで流行した。こんなメロディー。二胡で弾いてみた。

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 この本は、タイトルからしてこの歌のことが書かれているが、これを歌う加藤登紀子さんの生きざまを書いたともいえる。

 私の知る限り、彼女は東大生で歌手になり、獄中の活動家と結婚し、舞台の上で座り込んでしゃがれ声で歌う。という印象だったが、ここまでロシアやその周辺国の文化とかかわっている人とは思わなかった。最近になって、ファンになり、こんな本やCDも購入した。

 面白いのはジョン・レノンの奥さんの小野ヨーコさんとの交流があったことが書かれているくだり。「イマジン」という歌の思いを共感する人。自分もそこに共感する。「イマジン」も二胡で習っているので、また今度ご披露してみたい。

 この本の中では、上に書いたご両親の本だけでなく、満州やロシアに関わる本がいくつか紹介されている、その中から面白そうなのをまた読んでみたい。