天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

宗教VS哲学

 今日は日曜日で、キリスト教的に言うと安息日。で、この日はキリスト者は仕事をしないで教会の礼拝に行く。最近、久々にキリスト教に接する機会を得たので、近くにある教会へ礼拝にでも行って見ようか、と言う気にもなったが、Youtubeで礼拝の配信予定があったので、そちらを見ることにした。

www.youtube.com

 アーカイブ版では、牧師の説教の部分だけがあり、後で見るときはそれで十分ではあるが、ライヴ版では教会で行われることがそのまま画面に出るので、臨場感があるが、自分の場合、50年以上ぶりなので、まず聖書が昔と違っている。これはネットで手に入れたが、讃美歌の本が違う。持っているのは昔の「聖歌」という本だが、歌詞も順番も収録曲も違う。この教会にフォローするのであれば、そうしたツールもそろえる必要がある。ということで、科の牧師さんの話す中から、これかと思う讃美歌集もネット注文した。

 でどうするのか。youtubeの礼拝をフォローする分には誰にも迷惑を掛けないので、時間がある時に見ようかということで、今日がその初日。日曜日と言えば、月に1回は日中友好協会の会合があるし、その他の用事も入り勝ちな曜日。いつも安息日になるとは限らないが、空いていたら参加、と言う程度にしようと思う。

 宗教というと、最近は統一教会のせいで、胡散臭いものに思われがち。であるが、日本人の冠婚葬祭のうち特に「葬」にはつきものの仏教も宗教で、これは胡散臭いと言う感じはしないが、この一宗派の宗教団体はカルト的な胡散臭さもあり、政治政党まで作っている。もっともこの団体は、本家の宗派からは破門されたというネット情報もあるが。

 そういう類のものは論外で、宗教を考える糧として若き哲学者の「なぜ世界は存在しないのか」という本がある。この中の5章に「宗教の意味」という文章がある。ここを読む前ではあるが、宗教は心の平安を割と易くもたらしてくれるものという感じがしている。易くというところが大衆受けする部分であり、危ない部分でもある。

 この問題自体は「いと易し」とは以下ないので、なにがしかの学習をしたうえでまた整理してみたい課題。