天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

中国現代文学9

 中央大学の栗山千香子さんが中心になって、中国の現代作家の作品を翻訳して出版している冊子。中国映画を見る会がご縁で読むようになった。この前日記に書いた、ノーベル賞作家の莫言氏の「普通語」という作品もここに載せられていた。

 私と同年代の史鉄生と言う作家の作品も、ここで出会った。第9巻には史鉄生氏の短編が2編載っていた。「たとえばロックと”書く”こと」「地壇を想う」の二つだ。彼は車いすを使うハンデのある人だったが、2010年に腎臓の病が原因で亡くなっている。
 今回の小説は、車いすであることが、自分の生活、とりわけ恋にどのように影響があったかを書きしるしている。切ない思いをした若い頃のこと。遠くに住む彼女の家に車いすを転がしながら、やっとの思いで着いたが家の前にある石段にさえぎられてノックができなかった。
 大きな声で呼んでみると、家族に気づかれて気まづいそぶりの彼女。当時の中国では歓迎されざる客であった。そもそも、彼は文革の時以来車いす生活になっている。どのような経緯で足を痛めたのか、詳しくは語られていない。
 この2編は、物語的なものではなく詩的な表現で語られて、『記憶と印象』というタイトルの彼の作品集の中の作品がこれで全て翻訳紹介されたということだ。
 「鬼節」と題した鄭小驢の作品はすごい。中国の一人っ子政策が始まったころの取り締まりがどのようなものであったか、どのように庶民は対応したかが生活の一場面として描かれている。当時、市場など女性の集まる場所で、お腹が大きいとみられる女性を強制連行し、妊娠の有無を調べ、子どもが二人目だと分かると下ろさせてしまうということが行われたらしい。
 上からの命令に従うためには手段を選ばない、非常な木っ端役人たち。二人目を身ごもったあげく離縁して里帰りした娘を地下室に隠し通そうとする親など、当時の悲しい中国のあり様が生々しい。
 いろいろ取り混ぜて、現代の中国作家の書くものを読むと、お隣の国、中国の人達がどんなふうに暮らしてきたのか、どういう状況で暮らしているのか、その気持ちを少しでもくみ取ることができる気がする。