天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

平頂山事件とは

 先日、講演の記録として平頂山事件とは、と題して講演の感想を記したが、その会場で販売されいた本を買い求めて読んだ。読んでみると、認識が深まった点についてやはり一言書いておきたい。

 事件の概要と裁判の経緯は既述の通りであるが、本では原告即ち平頂山虐殺事件の体験者の方々の生々しい体験が書かれており、当時の悲惨な状況がよくわかる。原告団を結成した頃の現地の人達の日本、および日本人に対する印象がどのようなものであったかもよく分かる。裁判は、残念な結果に終わった。残念どころか、不条理な結果だ。
 コメント頂いたSPYBOYさんの言葉を借りれば、日本人として「恥ずかしい」結果だ。とんでもない殺害をしておいて、国は賠償する立場には無いというハレンチな法廷だった。
 しかし、この本の趣旨はそこを非難するのが目的ではない。結審した後に、中国側の人達は裁判自体は狙い通りの成果を得られなかったが、この10年余りの期間を通して、日本の弁護団が無償で活動し、それを支える善意の市民運動があったこと。そういうことを通じて、日本人を理解し友人関係になれたことをとても喜んでくれている。
 このことが、日中の庶民がお互いを理解しあうきっかけになったと言うわけだ。事件自体は南京事件ほど日本でも中国でも知られていない。まだまだ歴史研究の余地のある出来ごとだ。
 従って、裁判が不当判決に終わったことで運動が終わったわけではない。私自身、こういうことを具体的に知ることこそ歴史認識なのだと思った次第だが、まさにあとがきで同様のことが述べられていた。
 私たちは、もっともっと掘り起こさなくてはならない問題を抱えているように思う。日本人の得意な「臭いものには蓋」をしてしまって、過去の悪事を知らぬ顔でアジアの経済大国だとうそぶいている。
 アジアの安定に必要なのは、軍事力による駆け引きのようなことではないだろう。まして自衛隊を米国軍隊のケライのように使おうという集団的自衛権など、もってのほか。
 過去の失敗を認め、これを繰り返すことの無いよう、共同研究などもしてお互いをよく知り合うことこそ大切。国境も、民族も超えたつながりを作りあげてゆくことこそ平和と人類繁栄の近道ではないのか。
 読後の感想が大風呂敷を広げているようだが、決して大げさではない。このことに関して出来ることを探ってゆかなくては。