天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

翻訳本のこと

 翻訳について、つべこべ言えるようなガラではないが、最近同じ原作を別の人が翻訳するということが行われている。この前テレビで紹介された「口語訳即興詩人」などは、アンデルセンの原作を、森鴎外が文語訳をし、それを更に安野光雅氏が口語訳したものだ。森鴎外の文語版は原作の英語より格調が高いという評判だが、あまりに格調が高いので口語訳が受けるのだろう。
 今読んでいるのは、サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」というのを読んでいるが、訳者は野崎孝氏だ。少し前この同じ本を、村上春樹氏が翻訳して「キャッチャー・イン・ザ・ライ」というカタカナ英語の題にして出版されている。今読んでいる翻訳本もかなりこなれた日本語になっているのだけれど、村上氏は更に自分の言葉に置き直してみたかったのだろうか。
 このサリンジャーと言う人の作品は、色々な現代作家に影響を与えいるようだ。中国の現代作家もこの人の作品が好きだと言う人が、結構いる。彼らは何語で読んだのだろう。おそらく英語だな。英語で原文を読んで影響を受けても、自分達は、自分たちの母国語で作品を書く。面白いものだ。
 それにしても翻訳の技量というのは大切だ。小説の場合特にそう。アメリカの流行作家のスピード翻訳のような訳文を超訳として出版されているものがあるが、これはあまり面白くない。ストーリー展開だけを追っていくことは出来るが、原文の持つ文章表現の妙味というのはほとんど出ていない場合が多い。原文のニュアンスを母国語でいかに表現するかというのが、翻訳家の力量の見せどころなのだろう。
 私の好きな、平易な英語で男女の愛を中心とした人間感情を書くダニエル・スチールの文章などは、言葉の置き換えのような直訳では、面白味が半分以下になろうであろう。