天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

昨日は何の日

 普通は「今日は何の日?」と書くのに、昨日は忙しかったので翌日になりました。

 それで何の日かと言うと、普通の人には普通の日で何でもありません。私にとっても今や普通の日ですが、この日は父の誕生日でした。しかも今年は生きていれば100歳になる年回りでした。生誕100年。といったところですか。

 実際には20年ほど前に亡くなりました。そして自分で建てた墓の中に母と眠っています。眠っているかな?前回ブログの本によると、その魂は宇宙の意思と同化している頃か。骨の灰はそこにあるけど。

 そこって、そこが長野は戸隠の山の中。古来(と言っていいほど古くから)そこに住んでいた一族の次男として生まれた父は、分家した形なので先祖伝来の墓がありません。もともとそこの本家の人たちは、昔からの風習で土葬をしていて墓石はホントに昔のシンボル的なものがいくつかあるだけ。土葬した場所には目印のような石が置かれて、それがいくつか並んでいます。そこに私の祖父や祖母、伯父さんなどの墓もあります。その場所の裏手に、○○一族の墓地という場所になったころ、父が伯父の勧めで墓を作ったわけですが、立てた者の名前に私の名前が刻まれています。知らないうちに。

 菩提寺は大昌寺というお寺で、法要のタイミングでは夏の合同法要(お施餓鬼)に出かけていましたが、没後これくらい経つとそのタイミングも間断になり、墓参りに行くことが無くなっていました。墓のおもりはもっぱら従兄たちに任せていた。が、そろそろこれをどうするか決めなくちゃ、と言う時期になった感がある。

 東京では、例えば築地本願寺などではアパート式に骨壺を預かって、時々に法要をしてくれるサービスがある。遠くてなかなか墓まいりに行けない人には重宝なサービスで、寺側にはいいビジネスだ。そういうのに乗るか、乗らないか。それは自分が死んだらどこにいたいか。ということで決める事に。

 先祖代々の土地で生まれ育った人は、こんな悩みは無い。が、東京で働いていた人の多くは別に田舎があり、そこに墓参りに行く。ちなみに、昔「東京のおばちゃん」と呼んだ人は、やはり自分で墓を建てたのだが、どこに建てたかと言うと富士霊園。富士山が良く見える場所に作られた霊園。そこなら残った家族も、東京から近いし、富士山見物がてら墓参りに行くだろうから、時々来てもらえる。という思いでそこにした。

 今は先に逝ったおじちゃんと一緒にそこに眠っている。はず。働き者だったおじさんが先に墓に入ったあと、自分も家族の人と一緒に行ったことがあった。何しろ学生時代の下宿のおばさんだから。

 さて自分はどうするか、というと自分が建てたことになっている戸隠の墓でいいんじゃないか。というのが今のところの結論。今までほおっておいた墓をちゃんと綺麗にして入る準備をする。というのが残された家族が困らないようにするための終活でもある。

 そこで行ったり来たりはやはり遠いので、戸隠に居場所をつくろうとしているわけだ。人には別荘ということにしているが、そんなに気楽なことではない。別荘地ではないので、別荘としての売り物はない。古民家を改造する、という楽しそうな活動をしようとしてたが、なかなか適切な物件がない。一件あったのは人手に渡った。

 山の中に住む、という理想はあるが上下水道電気ガスが完備したところに住んでいたものがいきなり何もない場所には住めないだろう。過疎になりかけの山の集落の一角ならなんとかなりそう。これは終活だと言ったら長男は理解したようだった。

 

 終活と言えば、断捨離を進めている知人に協力をした。長年抱えてきたものを引き取ってあげたのだ。それは何か。二胡たち。三本あった。おもちゃみたいのから、演奏に使えそうなものまで。これはまた別に詳しく書こうかな。