天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

長野であれこれ

 コロナ後の連休と言うことで、多くの人出が予想された5月3日に孫リン一家と戸隠キャンプ場に向かった。一緒と言っても、向こうは本牧から、こちらは自宅から、関越自動車道から上信越道を通るルートで、横川のサービスエリアで落ち合うことにした。

 できれば横川9時目標にしていたが、案の定の渋滞で着いたのがお昼前。ちょうどお昼に横川の釜めし弁当をと思っていたのが実現した。

 先に着いたジイジが四人分買って、食べようとしたところにもう1台が着いたので外で一緒に食べることができた。

 次の待ち合わせは長野市内のスーパーで、食材の買い込みをする。そこから目指す戸隠キャンプ場は善光寺の横を北上してゆく。戸隠三神社を通過した先にある。つまりかなり山を登ったところにある。標高1200mくらいというから、かなり高い。そして広いのに驚いた。そしてもっと驚いたのは客の多さ。こんな場所にこんなにも多くに人が、と思うほど。車を乗り入れてそのそばにテントを張る。

 着いた時には、便利な場所はもう一杯で使わないバンガローのあるエリアをやっと確保。上記右の写真。似た色の車が2台。手前がジイジの車。

 テントは琳一家用とじいちゃん用の一人テントを張る。貼り終わって食事エリアを決めるともう暗くなる。

 すぐ横には水芭蕉が咲く小川が流れている。

 ここまでは良かったが、夜は寒い。広い敷地のあちこちにトイレがあったので助かる。しかも綺麗なトイレで、そこだけ夜も灯りがともっているので夜中にトイレに行く自分も助かったが、寒い中を歩いてゆくのはつらい。が、戻るとすぐに寝るから不思議。

 翌日は琳ちゃんのパパママは登山。その間、二人で翌朝のごはんの買い物に、戸隠蕎麦でランチ。それから従兄の家に行って、蔵の前の庭の草刈り。

 行って見ると、生まれたばかりの小さな猫が3匹もいた。日ごろ犬猫に接していない孫リンも、この小ささには可愛くてもって可愛がっていた。草刈りを手伝うと言っても怪我でもしたら大変なので、ワークマンでピンクのヘルメットと長靴。それに虫よけ手袋を買っておいたのがよく似合う。目には防護眼鏡。プラスチックのプロペラが回るような軽い草刈り機なので、子供も扱える。

 右の写真の左側が母屋で、この草の奥に蔵がある。草だけなら草刈り機で一気に庭をきれいにすることが出来るはずだったが、あるのは苗を育てるプラ製品や、鉢など長年の間に放置されたゴミ。庭のゴミ屋敷のような状態。草も笹が半分以上となっており、プラスチックの草刈り機では無理。翌日琳ちゃんたちがキャンプから帰ったあとに再度庭の片づけをして、蔵までの通路をなんとか確保した。

 キャンプ所には2泊したが、夜明け前の空が美しかった。

キャンプ場から田舎の家に向かう道も美しかった。

 庭の片づけ二日目に行って見ると、従兄は不在だったので道具を出して用意していると赤い大きなトラクターに乗った従兄が前の道を上がってゆく。一仕事してトラクターを片付けに行く様子だった。

 そこへ隣のあばさんがやってきた。なんでも従兄に畑をトラクターで畝を作ってもらったので、お茶してもらおうと呼びに来た。私の顔を見て誰だかわかったらしく、一緒にお茶のみに来てくれと言う。3月にお墓のところで会ったときは、私が誰か気にしてなかったが、今回は名前まで思い出してくれた。こちらも隣のおばさんの顔は覚えていた。

 こちらの風習は、沢庵をお茶うけにして何倍もお茶を飲む。行くと甘く煮た豆と沢庵と茹でたほうれん草がたんまりと用意してあった。おじさんの顔も覚えがある。足が悪くて炬燵で寝たり起き上がったりらしい、畑仕事もままならないので従兄が手伝ったらしい。ちょうどその日は牧の中で亡くなった人のお通夜があるということで、その話もしていた。お茶を飲んでいると次から次にお菓子が出てきあ。ヨモギ餅を戴いていると、挙句に昼ごはんが出てきた。

 たぶん自家製味噌の味噌汁とごはん。ありがたや、でもお腹いっぱい。このまま皆がお通夜に出かけるまで一緒にいると庭仕事ができないので、一足先に戻っていると、知らないおじさんがやってきた。表に私の車が止まっているので来たという。何かと思えば、またこの近所に空き家ができたのでそこに住んではどうかと言う話だった。

 その空き家とは、その日にお通夜をする人のうちで独り住まいだったのが、後に入る親族がいないという。通夜のその日に家の段取りまで心配するおじさんは、やはり近所の人で今年の初めに、もと教員住宅を賃貸するので申し込んではどうかという話を持ってきてくれた人だった。その時は市だか県だかの担当部署の電話を教えてくれて、こちらから電話したら、その日がちょうど募集締め切りの日だった。必要書類をすぐに用意できないのでその話は見送った。

 どうやら色々と心配してくれる人らしい。どうせ手放すなら知り合いがいいだろうということらしい。が、人が亡くなって家や部屋が空くのは「事故物件」ではないか。

 おじさん曰く、この界隈では一番新しい平屋の建物だというので、後から従兄と場所だけ見に行った。確かに新しめの家で、古民家風ではなく普通の建物。驚いたのは庭に蔵もあるぞというその蔵と言う建物が二階建てで家のよう。車は母屋と蔵の間に入る。

 おかねだけ出せれば、すぐにでも住めるはず。問題はその金額。お通夜のその日に金額も提示されないだろうから、ひとまずそういう話があるということで引き上げた。

 その日の宿は3月に泊まった鬼無里の民宿。またおばちゃんの料理を堪能した。

山菜の天ぷらも出てきた。

 お風呂に入って、この日はビールが飲みたいと思ったが、瓶ビールの大瓶だけというので、缶のノンアルコールビールにした。今の自分にはこれで十分。

 この日はもう一人客がいた。一人で山歩きをしているらしいおじさんで、後から来たので食事の時間は少し遅れてきて向き合って食べた。なんとなく話し相手がいるのも悪くない。話題は午後に有った地震の話とかどこを歩いたのか尋ねたり。

 ビールが大瓶だけと言うのは珍しいと言いながら、2本飲んでた。

 翌日従兄がほうれん草を用意しておくから持ってけと言うことだったが、鬼無里から帰路の寄り道をすると少なく見積もっても1時間はかかる。渋滞が予想されるなかで1時間の寄り道は避けた。キャンプもしたので車は道具で一杯でほうれん草の箱を入れる場所もないと丁重にお断りした。が、道はスイスイだった。通夜で家の話が何かあったかどうか聞いてみたかった。金額によっては捨てがたい話だ。

 ということで、行って見ると色々あるなあ。通夜は近くに寺があるが、そこではなく市内のJA会館ということで、牧の人たちがまとまってバスで行った。やはりJAとは関連が深いのだろうか。おいおいその辺りも確認することになるな。