天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

ダウンしてました

 この前の土曜から、かねて予定していたように岡崎→長野と行ってきました。岡崎に行く途中が事故渋滞で時間がかかり。岡崎では大した作業が出来ませんでしたが、錆びたベランダの柱を塗るだけやってきました。

before after

 さてここから長野へ。どうやって行くか。車なので道順はナビに任せるとして宿がとってなかった。長野では民宿の予約がしてあるが、高速道路を走るとトラックの運転手さんが仮眠をする場所があるにちがいない。例えば足柄にはそういうところがあった。はず。

 岡崎→長野の間にもどこかそういうところがあれば、そこで仮眠をと思っていた。

 昔はこのルートは名古屋を経由したものだが、今は名古屋市内は入らず、豊田から瀬戸に抜ける。まずは腹ごしらえ。

 そのまま長野に着けばそこで宿を探してもいいと思ったが、少しづつ走って結局ここで朝を迎えた。

 梓川サービスエリア。ここには24時間営業のコンビニと食堂があるので、結構車を止めて休んでいる人たちがいた。朝ごはんも食べられる。

 朝食を取ったらもう長野へ。昔よく通った姨捨山パーキングにも懐かしくて寄ってみる。景色は昔と変わらない。それにしても、年寄を捨てる習慣があったのかと、今更ながら思う。

 長野インターを出れば、もう慣れた道。今年ははじめて。

信州大学教育学部

 この道の突き当りが信州大学教育学部。ここを左に曲がると白馬方面で途中、戸隠にゆく道がある。

 景色はこんな感じ。つくとまずはお墓参り。

 昨晩雪が少し降ったそうで、こんな景色だったが道路への影響は無かった。スノータイヤは履いてないし、チェーンも積んでなかったのでチェーン規制が出たら計画断念と思っていたがそれは助かった。

 年末に蔵の崩れた壁の部分にブル-シートを貼っておいたのがそのまま冬を越していた。壁づくりを始めようと思ったが、落ちた壁土の撤去が先だ。端の方に崩れた壁があったので、今回はせめてここを手入れすることにした。

 それと蔵の前に大きな木があり、この落ち葉が根元や屋根に積もって半分土になっている。キャンプ用のソーラーパネルを持って行ったが、これでは日が当たらない。そこでこの木の枝切もすることにした。壁づくりの前に、土木作業が必要。このペースでは5か年計画では無理かも。とにかく、蔵にトイレを作ることと、朽ちた柱を立てることは職人さんの仕事として見積もりを従兄に頼んでおいた。

 従兄の方は、農業を再開する気が十分で、楢の原木をかなり切り出していて、山でシイタケを作って売るのだそう。以前それをもらったが、これは肉厚で美味しい。うまく行くといいのだが。

 とりあえず二日目は民宿へ。

 ここは戸隠より少し白馬に向かった場所にある鬼無里と言うところ。

 部屋は昭和の冬支度。

 テレビはブラウン管!!!ロビーのような場所にはクマがいた。彫り物かと思って触ったら毛が生えていて剥製だった。昔はクマ汁も食べたんだと思う。すぐそばには鬼無里神社というのがあった。

 鬼無里神社にこの看板があったが、これは鬼女紅葉伝説の案内で、この場所は鬼無里からも行けるが、戸隠の従兄の家から更に山奥に行ったところ。まあこの辺りで観光の売りにしているのだろう。同じ看板を他でも見た。

 民宿の夜のごはんは大量で、食べきれなかった。

 左が晩御飯、右が翌朝の朝食。夜のおやきが食べられなかったので、民宿を去るときにお持ち帰りを頼んでおいた。帰ってから食べたオカミさん手作りのおやきは美味しかった。

 翌日、蔵作業の続きをしにゆくのだが、観光をかねて戸隠神社経由で行くことにした。おかみさんに道を教えてもらった方に行くと途中の展望台から北アルプスの峰々が一望できる場所があった。

 大望峠と言う場所で、アルプスの右側には戸隠連邦が連なって見えた。

 戸隠神社に行くと言っても、目的は蔵の修復なので宝光社の入り口と参道まで。

 何年も前に確かに来ている場所だと言うことを確認した。確か竹細工屋さんがあったのを記憶していて、そこで何か土産物を買いたいとおもっていたが見つからなかった。たぶんもう少し上の中社の参道にあったのだろう。またこんどゆっくり行こう。

 宝光社も階段の前には「落雪注意」の看板。前日の雪が枝の上で固まって、ごつんと落ちてくる。危ないので登らなかった。目的は参拝じゃないし。

 ということで蔵に向かって作業。

 土壁の下を修復したBefore After。

 自作のブロックレンガも使ってみた。セメントを抑える板を持って行って良かった。次に行った時、ちゃんと固まってるかな。

 土の撤去は、従兄がローダーでやらないと手では無理ということで次回に。そのた土木作業がいっぱい必要なことも見えてきた。蔵の中も1階部分にあるものの処分が必要。中には手回しの脱穀機があった。昔の農機具類だ。骨とう品のようでもあり、ゴミのようでもある。外回りの作業をしながらゆっくり対策する時間がありそう。急ぐ理由は特にないし。

 これは昼飯用に湯を沸かしたロケットストーブ。キャンプ用の小さなもの。燃やすものはいくらもある。どうしてロケットストーブと言うのか分かったような気がする。うまく火が付くと薬缶を乗せる部分の火がゴーっと勢いよく燃える。

 二日目の作業は、疲れるといけないので早めに切り上げ鬼無里にもどり、道の駅だとか博物館のようなところを訪ねたが、どれも閉まっていた。次の日はさっさと帰る。何故なら、帰った翌日が二胡のレッスン。三日間二胡を触らない生活をしていたので、ちゃんと準備をしてから出かける為。

 そこまでは良かった。レッスンのあといつものように孫リンのところに行ったら、気温上昇。長野モードの寒さ除けの服装だったので暑くてしょうがない。そこでガクッと来た。何も食べられなくなって今日まで寝ていた。

 今日は車を整備に出す約束をしていたので、それは行ったが台車が一回り大きい赤い車だったので、明日はあまり乗らないようにして二胡で体調を戻すことにしよう。

 蔵計画は、自分の思う通りの状態にまで持ってゆくには5年じゃ無理。ゆっくりでも従兄は好きなようにさせてくれるかな。ところでどうしてこの戸隠の家がこういう状態になってしまっているのか、については長い物語というか、社会問題がある。(JAとの関係)。ちゃんと整理が出来たら改めて書くことにしよう。そうでなければこれは私の終活兼蔵遊びの範疇であるのであーる。