死は存在しない 田坂広志
前のブログで、いきなり”ゼロ・ポイント・フィールド”などという言葉を書いたが、それはこの本にあった言葉。
死は存在しない、などと今どき真面目に書くやつがいるのか、と手に取ってしまった。思うつぼにはまった。
最先端量子科学が示す新たな仮説、という言葉に興味をひかれた。死後我々はどうなるのか。そんなことが分かるのか。ということで読んでみた。著者の年齢が自分と同じで、宗教家ではなく科学者。
著者は、この本を手に取る人の、その行為の動機に思いを馳せている。主には何らかの体験で死を身近に感じていたり、死ぬとどうなるかなと思う人。自分は6年前に癌でステージⅣと言われたことで、5年後にいなくなっていることも考慮して生きてかなくちゃと考えた経験があるので、死が身近な人の仲間だ。
本のタイトルは「死は存在しない」などというセンセーショナルな言葉だが、肉体の死は必ず来るもので、意識はどうなるというところがポイントだ。臨死体験をした人などは、肉体と魂を分けて考えるようになる。
この宇宙は138億年前に、量子真空のゆらぎによって出来たそう。
最近、量子科学の分野が色々と研究課題らしいが、量子真空って何かよく分らないのでググってみたら、真空の説明があった。
ともかく、ゆらぎが発生したことで宇宙が出来たということだが、何故ゆらいだのか。そこに何かの意思が働いたと考える。そうでなければ物は動かない。そこから138億年かけて今の宇宙が出来上がってきた、その間地球が出来、そこに人間ができて、我々個々の個体が発生している。
それでその過去からの宇宙の意思が記憶されているところが「ゼロ・ポイント・フィールド」と呼ばれるところがある、という仮説があるらしい。
肉体を失った人間の意識は、そこに帰ってゆくというのが仮説の上の理論のようなもの。
宗教で言えば、キリスト教の天国であり、仏教の極楽とかあの世。仏教の来世とか生まれ変わりというのは、ゼロポイントフィールドから、また別の個体が生まれたときにセロポイントフィールドから遣わされる意識だそう。なので、前世の記憶を持ったまま別のところに生まれてくることがあり、それが不思議な現象と時々話題になる。
我々の存在は、大きな時間の流れの中のほんの一部分であることは間違いない。とすると人生で思い悩むことは大したことではない。大したことがあるとすれば、人が自然を壊してしまって、本来の宇宙の在り方に悪影響を与えてしまうことか。それだって、生まれるべくして生まれた人間がすることなので仕方のない事という考えも無いではない。が、それでは環境破壊を容認してしまうのでそれはいかんだろう。
今の地球環境を維持することで人類はこの先も生きて行ける。孫の代以降の人たちに壊れかけた地球を残してはいけない。と言う立場に立つべきだろう。
話を戻して。本のタイトルをの意味を補足するなら、「魂の死は存在しない」と言うことであって、肉体の死は当たり前だが必ず来る。老化を遅くするために他人は色々努力する。体が生きている間は元気でいたい。そのための運動だったり、食事だったり、サプリメントだったり。しかしいつかは必ず肉体の終わりが来て、私達の魂は宇宙の魂の中に帰ってゆく。
生きている間につらい目にあった人も、宇宙の意識に同化するうちに生きていた間のことを受容するようになる。らしい。
さて、ここでふと思ったのが、生きている間に認知症になった場合。意識がおかしくなっているのでは。と思うが、脳の老化も肉体の老化と同じだとすれば、そういうこともあるかもしれない。
となると「生きてるうちは元気よく」ということでいいか。この言葉を教えてくれた元気な先輩は、かつて私を富士山登山競争に誘ってくれた人だったが、もう他界している。空から、元気でいるか?と見ているかもしれない。富士山はやめたけど、他のことで頑張ってますよ。と応える。
TikTokに著者が出てきたので参考にリンク張ります。
この話も本に書いてあったかな。
要するに死ぬこと心配してないで、今元気に、前向きに生きてろってことか。