天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

自然死

 youtubeを見ていたら、山本信也監督がお医者さんにインタビューしているのに出くわした。
 なんでもその先生によると、我々(年寄り)がこれからすべきことは、自然死する姿を孫子に見せることだ、という。
 現代医学が進歩して、いろいろな病気に対する治療が開発されたが、加齢による衰弱は病気ではない。ということで、衰弱するということは、免疫力が落ちていくことであり、免疫力が落ちれば癌にもなる。
 癌については、Facebookで、ゲルソン療法を奨める先生の動画があった。
http://worldforum.jp/munakata-hisao-201609
 実際、癌などの治療、特に高齢者の医療は延命策であることは間違いない。癌についていえば、私のかかっている先生は「これは治りません。延命です。」とサラリと話していた。しかし、この動画の宗像久男先生によれば3か月で治ると言っている。それも高価な新薬ではなく体に免疫力をつけ、癌の栄養となるものを一切絶つ。これを3か月継続すれば大抵の癌は治る。ということで、私としてはほぼこの理論を実施してきた結果、骨と前立腺から癌の影が消えた。このことは前にも書いたが、その結果これからどうするということを考える中で、自然死を目指すという言葉が心に響いた。
 直面した病は回避することができたが、この先どうするか。一旦退職して、暇を持て余すとか、何か社会貢献するとか、また仕事に復帰する人もいる。また、市民運動に積極的に参加する人もいる。これは今の政権があまりにも問題が多すぎるので、民主主義を守るために必要なこと。
 それはともかく、何をするにも最終的に迎える死の取り扱い方は整理しておいたほうがいい。
 年齢の目安として後期高齢者以上で病を得た場合、どこまで治療をするか、という問題にもつながる。
 先の先生によると、自然死というのは、食欲が無くなり何も食べられなくなり、生きる力がなくなる。つまり餓死というわけ。なるほどと変に納得。
 病気だなんだといっても、食欲のあるうちは「まだ生きろ」という天の声のようなもので、自然の摂理に従えばいい。食欲が無くなれば食べなくても苦しくもなんともなく、眠るように意識がなくなる。病院代も何もいらない。残された家族も悲しむ必要がない。
 「親が死に、子が死に、孫が死ぬ」という誰だったか一休さんのめでたい言葉があった。この順番がくるうと悲しいけれど、順に見送ることは悲しくはなく、自然の摂理だ。というわけだ。
 今日は長男の誕生日で、今のところ元気でやっているので安心。次男も同じく。みんながこの先無事に生活していけたら言うことなし。もう自分がいつ逝っても順番は狂わない。あるとしたら2歳上の姉がいるが、順番は向こうが先だろうか。平均年齢的には男が短いので、ワシが先でも問題ないかもしれない。
 こと自身に関して望みがあるとすれば、二胡がもっと上手くなりたい。気が向いたら旅に出たい、くらいかな。