天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

墓参り

 お彼岸にお墓参りをするということを久しくしていなかったが、今年は思い立って昨日出かけてみた。珍しいことをするので、雨が降るどころか雪だった。

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 墓の中に眠る父母に、日ごろの無沙汰をわび、もうすぐ僕もはいるからよろしく、なんて挨拶をした。写真はお花をかざる前に撮ったもの。

 場所は長野市戸隠の山奥。そもそもこのお墓、父の兄で私の叔父である本家の棟梁が、地元の活性化の意味で一族の墓地を作るので、お前も参加しろと父に勧めたもの。田舎の次男坊で、山や土地を分割相続しないように外に出された父には入る墓が無いので、ここに自分で建てろという話だった。

 そこで父は、息子の私が父のために墓を建てたという筋書きで、自分で自分の墓を建てた。当時私はまだ学生だったので、お金も何もなく。父の決めたままに墓が建てられた。付近に同じ苗字の墓ばかり立っているので、しばらくの間は間違えそうになったりしていた。

 しかしこの墓に最初に入ったのは、父ではなく母だった。そこは当初の思惑違いだったろう。病気になった母は、一人あの山奥のお墓にはいるのはいやだなあと言っていたが、今や父と二人だ。可愛がっていた孫たちに子供も生まれ、ひ孫たちの様子も見せてやりたい。天から見守っているかもしれない。

 父は、まだ子供っぽい中等学校から東京に出され、山畑を継がない代わりに教育を受けさせるという親の方針に沿って進学したが、戦争で学徒動員。

 復員したが東京に住む家がない。学校は会社勤めをしながらの夜学だったが、その会社に復帰をしたところ、会社の先輩が住宅が見つかるまでの当座の間、自宅に来いということで住まわせてもらった。その先輩の姪が私の母。

 母は大阪育ちだったが、叔母の招きで東京に遊びに来た時に父とあった。その叔母が父の会社の先輩の連れ合いだった。はなから同居人の父に合わせるつもりで呼んだらしい。その思惑通りになり、子供が二人生まれたときに、父は東京から地方勤務を希望して転勤生活が始まった。

 二人目の子供が私で、家族で移動するので転校生活だった。小学校、中学校、高校とも一回ずつ転校し、入学して卒業までいたのは大学だけだった。その大学入学から私だけ東京に戻った形になり、以後自分は住居移転を伴う転勤もなく東京に住んでいる。

 自分としては過去の話より、息子や孫たちのこれからのほうが心配。残念ながら、今の日本はそういう心配をせざるを得ない状況になっている。