あの戦争は何だったのか 保坂正康
先般お亡くなりになった半藤一利氏と親しかったというノンフィクション作家の保坂氏。少し前東京新聞で半藤氏とのことが書かれていたのでこの人の本を読んでみた。
昨日、日中友好協会の支部の打ち合わせに行ったところ、7月に見るDVDの試写をやってみることになった。内容は盧溝橋事件から敗戦に至るドキュメンタリー。2006年に犬HKが作成したもので、よくできている。
ちょうどこの本と重なるので、この本のことを話したらドキュメンタリーのビデオを用意しているGさんは、保坂氏のことを「天皇を悪く言わない」と話していた。確かにそうだ。よくご存じだった。天皇の戦争責任については書かれていない。
この本の初版は2005年で、戦後60年ということで書かれている。その後45刷されていて多くの人に読まれていることが分かる。日中戦争から主に太平洋戦争の経緯と、日本人はこの戦争から何も学んでいないということがかかれている。ズバリそう。
アメリカを相手に戦争を始めたら、2年で決着がつかないと勝ち目がないと分かっていて始めた。いつどのようにやめるか、十分に検討されないで軍部の面目だけで突き進んだ。そして悲惨な結末だったにもかかわらず、その原因分析と反省がされているとは思えない。
敗戦後の日本は、復興に向けて朝鮮戦争の軍需景気で勢いづいた、そこから高度経済成長へと、敗戦をきちんと振り帰ることなく、戦前の政権担当者の生きのこりが総理になる始末。挙句の果てにその世襲議員で知性に欠けるものが最近まで政権の座にいた。
戦争遂行当時に話を戻すと、天皇は2.26事件以降はっきり意思表示をしなくなった由。それが最終的に戦争責任を免れる所以にもなったと思われる。しかし御前会議が最終的な国家の判断の場であったが、そこでは事前に軍部が決めたことを追認するようになっていった。それでも天皇の側近が天皇の言葉を忖度して物事を進めた経緯がある。
忖度が得意なのは現在の官僚も同じ。
ロシアのプーチンは酷い奴だ、と皆思っているが日本の政権担当者も褒められた奴がいなかった。総理が岸田氏になってから、ウクライナの問題が起きてそこへの対応が結構点数稼ぎになっている。ウクライナ難民をわずかでも受け入れていこうということは悪いことではない。がその他の地域でも難民はいくらでもいる。そこのところをどうして同じように対応しないのか。