ゴミの問題
ゴミ屋敷の片づけをするハメになって、改めてゴミの問題を考えさせられた。
まず、ゴミ問題イコール環境問題であること。
消費社会で暮らすと、その分ゴミが出る。物を作って売る側は、それで儲ける。買う人は利便性を得たり、美味しいものを食べる。その結果出るゴミは、適切に処理しないと社会生活の阻害要因となる。
やっと処理のルール化が出来てきた。ゴミ処理をするのは主に市などの公共施設、乃至、市から委託されたゴミ回収業者。昔は「クズ屋」と呼ばれて、小さいころは「勉強しないとクズ屋をやることになるよ」などと言われた。社会を綺麗にする大事な仕事なのに、ずいぶん虐げられていた。汚れ物を扱う仕事とされていた。
今では、大学を出て、ゴミ回収業の労働者組合の活動に興味を持って、そういう仕事に就いた人がいるらしい。
ゴミの元となる製品を作る企業が設けて、海岸のゴミ拾いはボランティアってのはおかしくないか。という人もいる。行政の問題。ともいえるが、捨て方についてはマナーの問題でもある。
マナー、即ち文化レベルというか教育の問題でもある。環境活動家のきくちゆみさんは、がたがた言ってないで行動する。この活動の創成期の立役者らしい。
少し前に連鎖反応で買い求めた「地球と一緒に生きる」という本に、こんなことを書いておられる。
30年も前に書かれた文章なので、原発事故の起きる20年も前。目に見えないゴミへの対応も必要とある。目に見えないし臭いもしない厄介者(放射能)、まさにそう。
”生産者はリサイクルできないものは作らないという覚悟が必要”。
それがどうだ。放射性物質を含んだ汚染水を海に流すという決定を政府がしている。
日本はいつの間にかひどい国になっている。二酸化炭素の削減目標も先進国の中で一番低いみたいだし。入国管理局で、外国人が殺された(あえて”殺された”と言う)問題も最悪。
経済優先というのが、大企業優先を意味するようになった。「経済」という言葉をはき違えている。
さて明日からまたゴミ対応に出かけるとするか。