天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

WALDEN デイヴィド・ソロー

 この本のことをどう書いたらいいだろうか。断捨離的読書、すなわちわが部屋の積読本を断捨離するために読む。せっかく買ったのに読まずに捨てられない性格で、読めば手元に置くか処分するか決められる。そうして再度読みだした本をやっと読んだ。

 この本をサクサク読まなかった理由は、英語が文章体で難解。昔、大学入試の受験勉強で難解な英語の読解問題を解くような気分で、気合を入れて集中することが求められた。それもそのはず、解説によると英文科の学院レベルの文章ということだった。

 ともかく、昔取った杵柄で辞書の使用を最小限にして読んだ。これを買ったのは、確か新宿勤務だったころ、半休でブックオフを時間調整でうろついていた時だったと思う。タイトルのWALDENが、森で生きる生活を描いたものということを何かで知っていて、それを原文で読めると思ったからだ。

 が、表紙にBRIDGED EDITION とあり、要約版であったので、オリジナルの文章そのものではなかった。要約するのに英語が難解になったのかどうか。いずれにしろ19世紀半ばに書かれたもの。

f:id:mm3493:20200417201302j:plain

 日本語の訳本のタイトルは「森の生活」とあるように、森で暮らす楽しさを書いてある。その森とはアメリカはニューイングランド。今から50年以上前のこの地域はまだ自然が豊かなところが多かったのだろう。

 でこの本は、アウトドア派の先駆けで、自然を楽しむということなのか。確かにそういう風に受け止められる記述もある。が、近くに街があってそこにも出かけている。

 解説にもある、アダム・スミスの富についての考え方に対する疑問投げかけ説が興味深い。人は富によって幸せになるのではない。これこそ現代にまたこの本が読まれるわけではないか。

 産業革命以来、急速に富を増やす社会が広がった。先に豊かになったものが、支配する植民地時代もあった。資本主義VS社会主義という時代もあった。ここでの社会主義国は、考え方としての社会主義即物的に制度化したことにより、資本主義国家に座を譲ったのだと自分は考える。その資本主義も、今や終焉と言われる時代が来た。すなわち、富の増幅で社会が発展する時代に終わりが来た。なぜか。

 答えは、自分たちだけが幸せになる、豊かになるために、他を犠牲にしてきたことによる。他とは何か。他国であったり、他民族であったり、他人であったり、他のグループであったり、他の動物たちであったり、他の地域であったり。

 そうした結果、地球の資源を食いつぶしてきた。あるいは、地球が自然にあるべき姿を人的に壊してきた。

 二つの問題が見える。格差問題と環境問題。

 他より先んじようという競争社会で、広がる格差。グローバル社会であることで広がる競争。地球の各地域が分かれていて、異なる文化と生活様式でそれぞれ生きていたころに格差はなかった。地域社会の中での強者と弱者はあったろうが、助って生きるのが生きる知恵だったのだないだろうか。

 そして工業化が進んで、科学技術も進歩して自然環境の破壊という問題が起きている。今回の新型ウイルスも、本来人間界その接触が無かった動物たちが、その住処を奪われて人のいるところにやってきたために、これまで人間界になかった微生物と接触することになった。私はこの説に納得している。

 ソローが生きた時代は、西部開拓時代。そんなときに現代のような科学技術的進歩など思いもよらなかったろうが、自然界に生きることと人間社会の対比は当時も今も問題は同じと言える。そういう意味で、今読んでも参考になる。

 最後の章 READINGは、人が人として生きる上で、他の動物たちとは違った、いわば楽しみとして書かれている。物質的な豊かさでなく心が喜ぶものとして本を読むことが位置付けられている、と読んだ。

 そこで今の世界の状況を見ると、明らかに変化しつつある。富に依存しない人間の幸せを思い起こさせ、そういう生き方をみながするような流れになるのが望ましいが、そうなるかどうか。今までの流れからして簡単にはいかないだろうが、どうせ変わるならそういう風に変わってほしい。

 以下、余談。

 今回のコロナウイルスは、上記のように人が変わって平和になるように天が人間に与えたものか、はたまた、高齢者や持病のある弱者、つまり生産性に程遠い人間を狙って消滅させるものとしてもたらされたのか。後者だとしたらそれこそ陰謀論になってしまうが、誰の?