天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

越来越

 中国語で「越来越」と書いて「ユエライユエ」と読む。これが大切ということに割と最近気づいた。その意味は、「徐々に」ということだが、急激な変化を期待することなく、徐々に良くなることを信じて自然の摂理に従ったことを続ける。そういうことで人は本来の幸せを得ることができる。ということだ。
 私の体で言えば、癌という病気をもらって、どうしてそうなったのかといえば、よろしくない生活習慣の中で、徐々に体の細胞が細胞の悪いやつに負けてしまったのだろう。そこで、そのことに気づかされたからには、今度は体にいいことを続けて徐々に改善するのがいいということだ。そして実践している最中だ。
 これは人の体だけでなく、人の社会についてもいえるのだと思う。社会の急激な、荒っぽい変化を革命という。人類の歴史には幾たびか革命があった。特に封建社会から市民社会に移行する過程では、革命という争いごとがあった。そしてヨーロッパではかなりいい社会もできてきた。と思う。
 かえりみて日本は、真の意味での市民革命を経験していない。明治維新というのは、江戸時代のサムライや学識者が主導で行われた社会の変革だった。
 それまでの、自分たちの社会を守っていればいいのだ、という考えによる鎖国政策から、ドカンという大砲で、そんなことをしていると列強の植民地にされてしまうぞ。という警告に気づいた人たちが、列強に伍する国力を日本が持たなければいけない、との思いで西洋を見習うことから始めようとしたことだ。それはいいのだが、西洋の真似をしすぎて、それまでの日本の中で培ってきた良さを放棄してしまう動きになってしまった。
 今でも、その流れは変わっていないと思う。アメリカに追随していればいいのだ、という狭い料簡でいる人間がいる。そういう人間中心の政権がコントロールする社会は不幸だ。今の様子を見ると、格差が拡大して、経済的に困窮する世代が増えてしまった。戦後、一億総中流社会と言われた時代があった。それは錯覚だったかもしれないが、事実そういう風に多くの人が感じる社会があった。そこに比べると、今は格差社会となっていることは間違いない。アメリカも中国も、みなそうだ。
 地球上の富、すなわち資源を、皆で共有して大切に使い続けることができれば、人類の知恵も含めて、真に持続可能な社会になるだろう。そのことができないでいる。
 こうした世の中にしてゆくには、目先の利権や自己の欲望に目がくらんで、とるべき判断ができなくなっている政権担当者が大きな邪魔者となっている。そこを市民の選択で排除しなくてはならない。市民の大多数がその気になればできるのに、なかなかそうはならない。市民自体が自己の目先の利益を中心に動くからだろう。
 それでも、そこがおかしいと気づいた人たちも増えてきているように見える。見かけ上の経済発展の数値などは、人の幸せに実は関係ないのだということも気づいている。その数を増やしていくことで、この社会も越来越とよくなってゆくことを目指したい。
 だれも不幸にしないで、越来越、いい言葉だと思う。

 話が少し変わって、この写真は、先日二胡を弾いたダイロクキッチンの外側。開店前でシャッターが閉まっている。第六消防団の表示が残してある。前面の車は家から走らせた我が愛車。少し小ぶりにしたが、よく走る。
 二胡の演奏力も越来越と進歩するように頑張る所存だが、運転のほうはとっさの判断力が次第に越来越と衰えるのは避けれないので、運転も徐々にシフトダウンした安全運転を心がけて、長く自分で走れる状態を維持したいものだ。