ハイファに戻って/太陽の男たち G.カナファーニ
東京新聞の本音のコラムのコラムニストの一人、師岡カリーマさんがアラブ文学について触れていた。今まで目にしたことがないジャンルだったので、記事で紹介されていた掲題の作家の本を読んでみた。
アラブの文学という印象では、アラジンと魔法のランプという童話のようなものが書かれていると想像したら違った。パレスチナ問題そのものだった。
パレスチナ問題とは、ニュースの世界でしか意識がなかった。ある日ユダヤ人がここはもともと我々の土地だったとして、その土地に住む人を追い出してイスラエルという国を宣言した。当然、そこに住んでいた人たちは困る。それでいろいろ問題が起きている。くらいの認識だった。
この作家は、その地から追い出された当時者であり、そのことをこうして文章で発表していたせいで車に仕掛けられた爆弾で殺害された。
「ハイファに戻って」という作品は、ハイファという町に住んでいたアラブの夫妻が、イスラエルの侵攻によりそこを逃げ出すとき、あまりに急な出来事だったため生まれて5か月の子供を連れだすことすらできなかった。
20年後、そこがどうなっているのか二人は車でハイファに戻ってみた。すると、彼らが住んでいた家にはポーランドから逃れてきたユダヤ人が住んでいた。しかも、亡くなったと思っていたわが子がそこで、ユダヤ人として育てられていた。子供はイスラエルの防衛軍の兵士になっていた。
「太陽の男たち」は、パレスチナ難民の男たちが活路を見出そうとクウェイトに亡命を企てる。そういうことを請け負う闇ブローカーもいるが、たまたま水を運ぶタンクの運転手の小遣い稼ぎに乗って。彼の運転するタンクに隠れて国境を越えようとした3人の男の話。
灼熱の砂漠を超える検問を通過するときだけ、3人はタンクの中に隠れる。中の状態は推して知るべし。通過には6分めどで我慢しろという男に命をあずけた3人。
出国はほぼ6分で通過することができたが、その間の憔悴はかなりのものだった。おして、次の入国時に係官が気まぐれに無用な問答を繰り返したため時間が大きく経過してしまい。タンクの中の3人は死んでしまう。
運転手は、はなから3人をだますつもりではなく、苦しくなったらどうして中からタンクをたたかなかったのかと悔やんでみるが、あとの祭り。
以上二つの中編のほか、5つの短編が収録されている。1978年に単行本が出て、2017年に出版された文庫版に出会ったというわけ。
難民がおかれた状況がどのようなものか、どうして難民が出るのか、ニュースではわからない真実がこうした小説を読むとわかる。
難民はパレスチナに限った問題ではない、シリアで、イエメンで、ミャンマーでと世界中で起きている。と文庫版を解説している西加奈子さんは書いている。
そういう場面から遠くにいる日本人はのほほんと暮らしている。
しかし、ふと思えば日本にも福島に帰れない難民がいる。避難民は難民でしょう。
そうした状況を作り出すのは、人間の利己主義が根本原因。誰も自分の命を守ることを優先するのは本能だろうが、自分の利益のために他人の生活、命をも顧みない。そういうことが日本でも起きている。
沖縄と福島、ひいては原発のある地域の人々は日本の政府から軽んじられていると言わざるを得ない。
この中の文章にあり、解説でも繰り返されている言葉が胸にささる。
「人間は結局、それ自体が問題を体現している存在なのです。」