僕の帰る場所
日本とミャンマーを舞台にした映画。東中野のポレポレ座へ見に行った。映画の後、監督やプロヂューサー、関係者のトークもあった。
■作品説明(映画のサイトより)
ある在日ミャンマー人家族に起きた、切なくも心温まる感動の実話−
東京の小さなアパートに住む、母のケインと幼い二人の兄弟。入国管理局に捕まった夫アイセに代わり、ケインは一人家庭を支えていた。日本で育ち、母国語を話せない子ども達に、ケインは慣れない日本語で一生懸命愛情を注ぐが、父に会えないストレスで兄弟はいつも喧嘩ばかり。ケインはこれからの生活に不安を抱き、ミャンマーに帰りたい想いを募らせてゆくが——。 世界的な関心事項である”移民“という題材を、ミャンマーでの民主化の流れや在日外国人の家族を取り巻く社会を背景に描く。本作には演技経験のないミャンマーの人々が多数出演。まるでドキュメンタリーを思わせる映像は、ミャンマー人一家の生活を優しく見守りつつ、シビアな眼差しで貫かれている。
実際の映画では、詳しい説明がないので概ね上記のようなことだろうと思いながら見ていた。
この問題は、ミャンマー人の家族を難民として認定しないことから起きた問題のはず。難民認定されない外国人労働者は、一定期間が経過すると帰国せざるを得ない。そういうことを知らないで、日本で暮らし、子供を育てている人たちはいくらもいることだろう。
ミャンマーの場合、広く知られているのはロヒンギャという部族が難民化しているということだが、この映画の母子はミャンマーに帰る場所がある。それでは難民ではない。しかし、日本がアメリカのように一定期間そこで働いて貢献した人には市民権を認めるという国なら、こういう問題は起こらない。日本という国の度量の狭さが露見している。そこをついた映画なのだろう。
ドイツは、難民を受け入れる政策をとって、右傾化したしたグループが反対しているようだが、これから先、平和ということを真面目に考えると、自国の中だけの対策では済まない。そういう当たり前のことが認識できるものでないと政治に携わる資格がない。
映画を見た後で、1階のカフェで、チャイとホットドッグを久しぶりに食べた。