天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

苦海浄土 石牟礼道子

 石牟礼道子さんの一周忌のイベントに行ったことは書いたが、その石牟礼さんの代表作を改めて読んだ。こういう行動のきっかけは金大偉さんで、彼が石牟礼さんと映像作品を作っていたことによる。

 私が読んだのはこれ。2004年に今の文庫本になって、2016年の21冊目。元々は1961年に石牟礼さんがあとがきを書いておられるので、50年以上前の本。

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 読んでいて、これは小説なのか、ドキュメンタリーなのか、何だろうと思わざるをえない書きぶりだった。

 解説者によれば、石牟礼さんの私小説ということだが、水俣病発生の当時、病気に苦しむ人々を取材して書いたような書きぶりで、何人かの被害患者の方々の様子がなまなましく、当地の方言による語り口で患者の思いが語られている。

 中に「ゆき女聞き書き」という章もあるが、実際にはこれらの文章は聞き書きではない。では何かというと、患者のたましいが石牟礼さんの口を借りて語っている。

 即ち、石牟礼道子は詩人であると同時に、シャーマン的存在だった。そこに金大偉氏が強くひかれた所以であろうことは間違いない。

 一周忌のイベントで見た映画「しゅうりりえんえん」は、全編ではなかったが、この本を下敷きに作成されたものだ。対談は文学的表現の評価に終始していて面白くなかったと感想を書いたが、これがルポルタージュ文学ではなく、詩人でもある石牟礼さんの魂の記せるものとすれば、文学的な評価も一方でされるべきものだろう。

 しかし水俣病という大きな社会問題から、今、我々が学ぶべきことは何なのかという視点が欲しかった。それがこの文庫本の最後の解説に「水俣病の五十年」として原田正純氏により、ズバリ書かれている。

 水俣にある国策会社の保護が優先されて、被害患者への対応が著しく遅れた。この構図は、今も福島の原発事故に関して、政府と東電との関係において存続している。放射能被害は、水俣病よりも因果関係が認められるのに時間がかかるだろう。政府の御用学者が、医学的、科学的な因果関係を認めない。

 チェルノブイリ原発事故との比較では、驚くほどゆるい基準でものごとを進めている。

 熊本学園大学というところでは、2002年から「水俣学」という講座が開かれているそうだで、今も存続しているかどうか分からないが、これは水俣病の病理研究ではなく、水俣病の問題で明らかになった社会構造の研究をしているらしい。

 弱者が犠牲になる社会構造としてみれば、沖縄の基地の問題などその典型だ。

 水俣病は、過去の問題ではない。被害者とその支援者が長い時間をかけて補償を勝ち取ってきたごとく、世の中がおかしくなっている部分について、闘争をしてゆかねばならない。学者は学者の立場で。文学者は文学表現の中で。

 今のように、政治が貧困な時は、市民が選挙で政権交代を実現するのが筋だが、公正な選挙が行われるかのチェックなど、課題は多いが活動する若者がいることは確か。彼らの仲間増やしに協力できればと思う。