天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

32 歌で革命に挑んだ男 岡崎雄兒

 これは、中国国歌「義勇軍行進曲」の作曲家である聂耳(ニエアル)の物語。著者の岡崎氏が孔子学院で講演会をされたときに参加して求めた本だ。著者が自ら自分の足で歩いて確かめた情報に基づいている。
 まず義勇軍とは何かというと、日本の侵略時代に抗日を目的に集まったいわば私設軍隊で、日本軍は彼らを匪賊と呼んでいた。彼らは最終的に共産党八路軍として組織化されてゆく。

ニエアルは雲南省の生まれで、家が貧しいために希望の進学ができなかったが、音楽で身を立てようと努力し、上海に出る。1930年代の上海では抗日の映画がいくつも作られた。その映画音楽をニエアルはいくつも提供した。その中の一つにこの義勇軍行進曲があった。
 こうした活動が国民党から狙われることになり、彼は日本を経由してヨーロッパに行く計画を立てた。日本は、敵国でありながら海外に出やすい最も近い外国であることに変わりがなかった。
 日本にいる間にも色々と音楽の活動や勉強もしているが、仲間と遊びに行った鎌倉で波に飲まれて溺死をしてしまう。志半ばの弱冠23歳の若い死であった。
 彼の死をめぐっては、日本の官憲に狙われていて、暴虐説があったが、著者の詳しい調査によると、やはり溺死と見るのが妥当であるという事実が見える。溺死は事故であり、それは仕方のないことだが、彼の記念碑が何者かによって落書きなどのイタズラがされるため、日頃は覆い隠されているというのがいかにも情けない。
 二胡のおかげで、中国音楽を聴く機会が増え、彼の作による「翠湖晩春」という曲を二胡教室で習ったりしている。何か中国的な旋律を感じさせながら、リズムのいい曲だ。この人の作品は一通りチェックしてもいいかもしれない。