天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

上九一色村

 一昨日は会社を休んで上九一色村まで出かけた。上九一色村と言えば、オウム真理教の拠点があった場所だ。今は地区の統合でこの地名は過去のものになっている。
 ここへ何しに行ったのか。オウム真理教と戦った佐々木さんという方に会いに行ったのだ。この人とは、聖跡桜が丘の丘の上にある満蒙開拓団の慰霊碑の前でお会いした。その後の懇親会で、とてもユニークな経歴の持ち主であることが分かり、今年の八王子平和文化祭に日中友好協会八王子支部の招聘で来ていただいて話を聞く会を催すことになった。その下打ち合わせに出かけたというわけだ。
 実に色々な闘争をしてきた人で、直近の働きがすぐそばに来たオウムとの戦いだった。それも20年前のこととなったが、麻原はまだ生きているし、教団も残っている。日中友好協会での話は満蒙開拓団とその後のシベリア抑留の出来事が中心になるが、なんといってもオウムは今も佐々木さんたちが住んでいる場所で起きたことで、一昨日もお宅で話を伺った後で、オウム真理教サティアンと呼んでいた居住地後を何か所か案内してもらった。
 今年88歳になる方なのに、自分で車を運転して、東京に行くときも車だそうだ。
 それにしても元気な方で、略歴を書けば次の通り。


 1928年の生まれ。戦争たけなわのころに少年であったため、軍人になろうとしたが色弱士官学校などには入れず、その後募集のあった満州への義勇隊というのに応募して、現地の兵隊予備軍のような形で満州の辺境に行った。そこで終戦となるが、その直前に爆弾を抱えてソ連の戦車の下で自爆せよという命令を受けた。しかしいざその時になると、すでに負け戦を知っていた心ある上官が「お前たちは逃げろ」という一言で命拾いをしたとか。
 ソ連の捕虜になったとき、17歳になっていたので17歳以上が軍人としてシベリアに送られたその中に入ってしまった。行った先で、約束通りの報酬がなかったことでストライキを先頭に立って行ったとか。前代未聞の話だ。
 さてシベリアから帰国した時に、この上九一色村に開拓団として入植することになった。しかしここは火山灰の土地で、水がない。農業用水はおろか、生活用水が雨水しかなかったのだ。近くの本栖湖は、日軽金という会社が水利権を県から買ってしまっていたので、住人に回す水は無いというスタンスだった。裁判で和解するまでの間、災害救助法の適用で自衛隊に水を運んでもらったりしたらしい。オウム以前のこのころの戦いがよほど大変だったらしい。話している途中で言葉に詰まる場面が何度かあった。そしてオウムだ。
 実に色々な経験をされた話を本人から聞けるのは貴重なことだが、これを何とか本にして後世に伝えないと、というのが同行したメンバーの感想だった。