天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

あれから39年

先日、あれから40として社会人になってから40年が経過したなと書いたが、今日はその1年後に結婚してから39年。要するに結婚記念日だ。
そういう日は、今まで知らないうちに通り過ぎることが多かったが、あれから40年などと書いたせいで、その後の出来事も気にしてみて、今年は思い出す日に間に合った。
結婚40年というのはルビー婚というらしいが、39年は得意に気にしなくいていいらいい。誰がルビーだとうかサファイアだとか結婚記念日に宝石をこじつけたのだろう。おそらく宝石やさんだろう。
この39年を振り返ると、二人の両親のうち3人が他界して、息子二人が結婚して孫が3人生まれた。人数は差し引きセロのようで実は、息子たちの連れ合いのご家族も考慮すると人数は減っている。そういう傾向に我が家もある。
世の中も変わっている。一昨日書いた天ちゃんパラオに行く関係の出来事だが、いろいろな人がブログで取り上げている。世の中全体はこの出来事を高く評価している。ウチの家内も、これで天ちゃんの株が上がったと思っているらしい。
私は、タコ総理との比較で評価できる立場にはあり、そのような書き方をしたつもり。
「追悼でなくてお詫びだろう」と書かれているSPYBOYさん、ズバリそうでしょう。が、天ちゃんとしては立場上過激な言動は許されないので、監視役に許してもらえないので、日本兵だけでなく「すべての人」に追悼の意を表した言い方で、現地の人にごめんなさいをくみ取ってほしかったのだろう。生ぬるいと言われればそれまで。健康がすぐれないのに、この時期に行ったということは、元気で行けるうちに行きたかったという意思表示もあるかもしれない。
体調がすぐれないのに何かするというのは、なかなか大変なことだ。が、60も過ぎれば体調がすぐれない人も多いだろう。かく言う自分もいろいろと不調な部分を抱えている。それでも何かやるということを続けたほうがいい。やってうまくいかないのは体調のせいにして、ひとまず何かやる。何が何かは人ぞれぞれ。やったほうがいいぞと思うことを淡々とやるのみ。清々粛々とやっては行けないらしい。あれは上から目線になるらしいから。
明日は、散ってしまったであろう花見をかねて、日中友好教会の満蒙開拓団の慰霊碑にお参りするイベントがある。天気は良くなりそうだ。