天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

春節の会

 今日は日中友好協会八王子支部恒例の春節の会に参加した。新宿の孔子学院でも餃子の会があったのだが、地元の会を優先させてもらった。孔子学院の方ではアトラクションとして二胡教室の出演要請があったが、それも流れた様子。
 さてこちらの会で恒例となったなった出し物の中に二胡がある。この会で初めて二胡を聞いた時は、こういう楽器をやる人が日本にもいるんだ、と言う程度の印象だった。聞いていて美しい音色だとは思ったがそのレベルのほどは何もわからなかった。
 しかし今年は違う。自分の技量と比較して、ここに来てくれている人達の方が上手であることを確認した。あたりまえか、キャリアが違う。手の動きを見、また音を聞いてレベルを判断したりしていた。真ん中の赤いスカートを穿いた人が中国人の先生で、ソロ演奏をパフォーマンスを含めてやってくれた。
 二胡の次にはやはり毎年出演の太極拳。こちらは地元勢で、今年は衣装を揃えて舞った。写真はその先生で日本人。
 剣を持った舞いや派手な扇子を持った舞いの披露は、年々上達しているように見えた。太極拳なのに思わず「舞い」と書いてしまったほどに優雅さを見せる感じで、健康のための気功とはやはり少々趣が違う感じだ。やはり孔子学院で気功を教わっているおかげで、こちらを見る目も変わってきた。
 今回初めてお目にかかったのはひょうたん笛。雲南省少数民族の奏でる楽器で、外国人が注目するまでは地元では大して評価されていなかったものらしい。たて笛の口のすぐ下の部分に瓢箪が取り付けてあり、これで音量を上げる効果と独特の音色をかもし出している。瓢箪の大きさにより、バイオリンとビオラの違いみたいに音調が異なる種類があるようだ。吹いているのは日中友好協会江東支部から来てくれた女性。プロっぽい音色ではないものの、これで文化面の友好に貢献したいと気合いが入っていた。
 今年は出し物が豊富で、昨年初登場の韓国の芸人さんも再び登場し、アリランをはじめ韓国・朝鮮の民謡を太鼓をたたきながら披露してくれた。この人は語りが上手で、日中の間にある国に独特の文化が育ったことを誇りにして、3つの国の平和と友好を願っていることが良く分かった。
 出し物のオオトリは変面。これも昨年来てくれた日本人の青年が今年も来てくれた。この変わった衣装で元気な音楽に合わせて舞台や観客の中を踊り歩きつつ、顔を振るごとに文字っどり目にもとまらぬ早業で、顔を変えてゆく。中国は四川省に伝わる伝統芸能で、今年は奥さん(おそらく中国人)と可愛い女の子も見物にきていた。かっこいいお父さんが目に焼き付いたことだろう。  春節の会は単なる演芸会ではない。こういう楽しい演芸を見ながら、餃子弁当を食べる。今年は中国残留帰国者の人達と席を同じくして語りながら食事をした。男性陣はなかなか日本語が十分ではないようなので、中国語をまじえて話していると、おまえは中国人か、日本人かと聞かれた。どちらか分からないくらいに上達したかと思うと悪い気はしない。
 話をしていると、写真の右端のオジサンが自分の経歴や氏素性を示す書類や写真を封筒から出して私に見せてくれた。見るとこの方のご両親が満蒙開拓団として満州へ渡った。その時この人は3,4才だったそうだ。1935年生まれなので終戦の時は10歳だ。そこから逃避行の中で両親とどのように別れたのか、そこまでは聞けなかったが、開拓団の写真とその中のご両親の姿を指で示してくれた。写真の女性は真ん中の人の奥さんで黒竜江省の中国女性。家族も順に日本に来て今では孫も日本にいるとのこと。今は幸せになった様子でよかった。
 この男性達は「大地の子」に描かれた主人公さながらの人生体験をしてきた方たちだ。自分たちが日本に戻れたのは、先に戻った誰々さんが残留孤児を諦めずに何度も探しに来てくれたからだと、その人の写真や資料なども見せてくれた。
  当時の苦労や、中国で育ててくれた中国の育ての親との暮らしなど、今の生活から見れば夢のようなことかもしれないが、自分たちのようなことが再発しないように、この経験を風化させないようにこうして資料を持ち歩いては、伝える相手がいるときには見せているのだろう。
 日中友好協会は、このようなことが二度と起きないように、日中の友好な交流を庶民レベルで続ける活動をしている。なので自分も参加している。