天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

北京飯店旧館にて 中園英助

 中国映画の話がきっかけで、中園英助氏の「何日君再来」物語を読んだ、その流れで手にした本。読売文学賞を受賞した作品らしいが、氏自身の体験について書かれている。敗戦で中国から引き上げてきた中園氏が取材を兼ねて40年ぶりに中国を訪れて、昔を振り返りながら北京を歩く。

 読んで改めてわかることは、日中戦争の敗戦前後に中国にいて暮らしていた人たちがいたということだ。満蒙開拓団の話は、いろいろと知る機会もあったが、その他にも一般に普通に中国に行って仕事なり勉強なりしていた人たちがいたということだ。
 今の平時と同じ、片方で戦争をやっている一方で、庶民の暮らしは続いていたわけだ。現在中国に行っている日本人と、数こそ違え、中国で一旗上げようとか、日本でうだつが上がらないので中国に行ってみようかとか、中国文化に惹かれて出かけるとか、動機はいろいろだが侵略戦争の手先となって軍隊に所属して出かける人間以前に、いくらもそこで学んだり、仕事をしていた日本人がいた。
 中国は、アヘン戦争以来、外国人が結構我が物顔で商売をしに来ていた。日中戦争の頃は、中国内も共産党と国民党の内戦状態だったり、そんな中で、中国人民はどの仲間に入るのか、どの仲間といれば安全なのか、権力者が目まぐるしく移り変わる中では大変だったと思う。
 日本人の立場も、外国人から征服民族になり、敗戦国民となって引き上げてゆく。そういう中でも地元中国の人たちと交流をしていたわけで、その時代から以後、中国は、共産党が内戦に勝利してから、国内で大躍進やら百家争鳴、文化大革命と、生きて行くのになりふり構わなくせざるを得ない時代を経て、やっと改革開放で外国人を客人として受け入れ始めた。その頃に久々に北京を訪問した中園氏の感慨はひとしおだったろうという、その情景がこの本だ。
 戦争前の、古き良き北京を知っている中園氏にしてみれば、大変な時代を経た中国の人たちに馳せる思いはひとしおだったろう。時代の激変の中で、命を失ったり、いわれのない不当な扱いを受けて過ごしたりした人たちがたくさんいる。
 今の中国の若い人たち、80後(パーリンホウ:80年代生まれの意味)とか90後と呼ばれる人たちは、そんな時代は単なる昔話のように感じている人たちが増えてきた。これから中国はどうなるのだろうと思う。そうは思うが、お隣の大国だからお互いになかよくしてゆく道を探らなくてはならないことだけは確かだ。