天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

賀状から

 年賀状の作り方は、長年やっているとパターンが出来上がってくる。我が家だけでなく、どの家もそうであろう。家族写真、旅行の写真、近況報告の文章が長いヤツ等々。ウチは家内が版画を始めて以来、ズウッと任せている。なので自分用では宛先をパソコンの住所録から入れて、少しコメントするだけ。それでも、欠礼状と突き合わせたり、転居した人の確認をしたり結構手間がかかる。いつも干支の図柄と、風景と二種類作るのだが今年はこれ一種類。世界遺産になった富士山だからいいか。
 絵柄の側はいいとして、面妖なのは出し先の確定だ。生きている限り出す相手以外は適当なところで廃止にしたい。終息に向けてはそういうこともして、余分な作業は減らしてゆきたい。ところが、出さない相手から届くと返信を書く。すると、またしばらく続く。その逆もある。どうかなと思いつつだすと、先方は返信モードで出してくる。
 2年前だったか「もう還暦なので年賀状はやめます」と宣言してきた知人がいたが、割り切りが良くていいかもしれない。しかし、やり取りしているうちの半分くらいは、年に一度のやり取りでも、まだ何かして頑張っていることを確認しあうことができていいものだと思う。
 さてそんな年賀状で、頑張っている様子の一つにロシア語を生業としている先輩がいる。「今も遺骨収集や調査にロシアに出かけます」と書いてあり、金の採掘船の写真がどんよりしたロシアの寒空の下にたたずんでいる写真があった。
 遺骨収集とは、先の戦争後にシベリアに抑留されてそこで無くなった人達の遺骨を帰国させようということらしい。調査というのも、誰がどこでどんな生活をしていたのかという調査だろう。そういうところにロシア語通訳の需要があるのかと、しみじみ思う次第。
 ロシアの市場開拓に出てゆく日本企業の手伝いではなく、こういう活動に参加する先輩の生きざまを感じる。