天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

年賀状

 毎年の年賀状は、ウチでは家内の版画を使うようになってから久しい。いつも2,3種類の図柄を作っている。受け取る人の中には、それを私の作品だと思っている人もいる。ここまで手間をかける年賀状は少なくなった。こういう趣味をもっている人からは似たような力作が届くことがあるが、大抵はパソコン仕立てのものが多くなった。
 パソコンで、写真も入れて結構楽しい図柄ができるものだ。

 絵はそういう状況であるが、一言添えてある言葉を読むのも楽しみ。
 中には、一言だけでなく日ごろの無沙汰解消とばかりに、つらつらと長い文章を書いてくる人がいる。毎年恒例でそういうのはよほどヒマでなければ読まない。年に一度も会わない人の家の状況を事細かく書かれても。と言う気がする。特にネコがどうした、イヌがどうしたというのは誰も知りたくない。孫が増えることだって誰にも普通にあることだ。
 親戚同士ならそういう情報交換も楽しいが、年賀状の相手は親戚ばかりではない。一般受けする挨拶状でありながら、相手に印象を与える賀状は難しい。
 こういう風習は中国にもあるのだろうか。日本では年賀状用のはがきが毎年印刷されるくらいになっているが、中国ではどうなのだろう。日本のような習慣はないようだが、いわゆるグリーティングカードを送ることはあるようだ。そういうカードはかなり派手にお祝いの言葉が並ぶ金ぴかのものらしい。
 さて、受け取った年賀状で送り主の様子を知ることができる。その中で、今年も憲法9条維持と原発反対の行動は続けますという言葉が書かれているのを見て、ふと我に返ったような気がした。日常の出来ごとに、それも世の中の大勢に何の影響もないことに一喜一憂することがアホらしいことだと気づかせてくれた。
 面倒なようではあるが、年に一度でも交流の機会を与えてくれる年賀状の習慣も悪くないなと思う。ネットでの賀状も増えている。