天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

2015年 年頭雑感

 21世になって15年目になったわけだ。その昔、ノストラダムスの大予言という物語が流行ったが、それは人類は21世紀を迎えることが無く1999年に全滅すると言う話だった。それから15年。話は作り話であったわけだが、当時の学生の中にこの話を信じてしまって、残りの時間を勉強しないで好きな事をしようと、遊び放題になってしまったと言う人達がいる。
 残りの時間が限られると、人々はより良く生きようとするだろうと期待して書かれたのではないかと思うが、そうでない人がかなりいたようだ。
 ともあれ、2015年。平和でぬるい日本にいるおかげでつつがなくここまで生きてきた。さて残りの時間の使い方について、年末にはゴルフより二胡という気持ちでいたが、ショックなメールを受け取り愕然として二胡も続けることができないか、と思うほどだった。
 外国人とのコミュニケーションは難しいとつくづく感じた。中国でラーメン屋を開業した友人の苦労が偲ばれる。外国語を使ってのコミュニケーションは、お互いの言葉を正しく理解しないと辞書的な意味だけでは誤解を生じることがある。
 面と向かって話していれば、その表情などからも真意を汲み取ることができるが、メールや手紙などの文面はよくよく注意が必要だろう。とくに中国語の場合、同じ漢字を使うので、日本語で使うのと同じニュアンスで同じ漢字の中国語の言葉を使うとずれてしまうことがある。年末に受け取ったショックなメールはそうしたことが原因だろうと思う。
 などと書いていたら、中国から1通メールが入った。以前訪問したハルビンの大学を卒業した人だった。今は上海にいるらしく、新年のあいさつと上海に遊びに来てねということが書かれていた。こちらは日本語を学習した人なので、日本語で書かれている。いちど知りあったら忘れず、この季節に連絡をくれるのはありがたい。
 今度上海に行くときには連絡してみようかと言う気になる。こういうメールは歓迎。
 自分を誤解されたような場合に、中村天風さんならどういうだろうか。所詮すべての人に自分を理解してもらうことはあり得ないし、その必要もないのだから気にすることはなく、切り捨てればよいのだ、くらいのことだろう。しかし相手が、必要とする存在だったり、評価している人だったりする場合はショックだ。親に裏切られた子どもの心境はかくばかりかと思うほど。
 というようなこともあるが、中村天風さんなら大きな目標に向かって歩くことだけ考えれば人間関係の多少のこじれなど気にするに足らぬは、と言われそう。上海からのメールには日本語で返信しておこう。