天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

漂亮妈妈

 久々に孔子学院に顔出しした。本日夕刻、ここで中国映画の鑑賞会があったのだ。二胡に行かなくなって行く用事が無くなった。が、Facebookに出ていたのをチェックしておいて電話で申し込んだ。誰か知っている人に会うかもしれないと思っていたら、予想通り一人いた。初めて二胡の体験講座に行ったときに同じく少し前に始めた方だった。仕事の関係で水曜夕刻の二胡の時間に出られなくなって中断したのだった。しかし、今日の話では習ったところまでを毎朝練習しているとか。そういう楽しみ方もあるのだ。
 話は映画のこと。今日は映画の前に中国の映画の歴史の解説があった。
 中国で映画が上映されるようになったのは、ほぼ日本と同じころで、1896年に上海でということだった。はじめはフランスなど海外のものを翻訳して見せるということから始まった。中国人の制作した最初の映画は1905年に北京で、京劇を映した「定軍山」という題のものだったとか。これは三国志に出てくる戦いの場面らしい。

 その後、中国の映画の発展はごくおおざっぱに三つの段階に分けられる。第一段階は、1922年〜1937年つまり盧溝橋事件による日中戦争の開始前まで。この時期は中国に映画会社が乱立し、175もの会社ができた。その大半は上海で140以上が上海を拠点とした映画会社だった。これが三つの大きな映画製作会社に統合されていく。明星、聊华、天一という三つの会社だ。中国映画の開始時期と言える。
 第二段階は、1937年から文革終了まで。この間には実にいろいろなことがあったが、一口に言えば混乱していた時代ということ。この時期は映画も政治的に利用されることが多かった。イデオロギー教育に一役買っていたということか。かの八路軍による東北電影製作所というのを作って、大いに共産党の宣伝映画を作成した。
 そして改革開放以降が第三段階となる。この時代の初期のころに「赤いコーリャン」とか「芙蓉鎮」などの映画が製作された。この二つは私も見て、感想を書いている。
http://d.hatena.ne.jp/mm3493/20121104#1352039133
今日見たのはこれ「きれいなおかあさん」で、中国語の題が「漂亮妈妈」となる。

あらすじは、書く代わりに書いてあるサイトをご紹介。
http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=2864
 改革開放後の、まだ落ち着かない社会の中で、女手一つで耳に障害のあるわが子を育てていくという、涙なくては見られない系の映画だった。中国の社会の実情をよく表している映画と言える。