口語訳 「即興詩人」 安野光雅
この本は、週間ブックレビューという番組があった時に、そこで紹介されていた当時の新刊本だ。2010年11月の発行。山川出版社という世界史の教科書で有名な出版社から出ている。
帯には「この『即興詩人』は 画家 案野光雅がこころを込めて口語訳した青春の恋の物語です」とある。
即興詩人といえば、森鷗外の訳による本としてかつて広く読まれたようだったが、その口語訳ということで話題になり、現代人が原作により近づきやすくなるという風に書評で語られていた、と思う。
読み始めてまず感じたのは、原作が書かれた頃の人々の生きざまが、とても素朴で丁寧なものだということ。19世紀の前半のイタリアがその場所である。当時のローマ、ミラノ、ヴェネティア等々イタリア各地、噴火中のベスビオス火山も重要な役割を果たしている。
主人公のアントニオは、原作者のアンデルセン本人がモデルとも言われているが、原発も無いのどかなこの時代に、人々がどのように接しあい、人を想い、愛したかということがそこはかとなく伝わる。当時の教会、修道院といった存在も今よりも広く大衆のものとして存在している。ヨーロッパのこのとであり、今のそれらの宗教的なものの大衆への意味合いが実感できないが、のどかな時代であるだけにその存在感が大きかったことは想像に難くない。
もうひとつの読みどころは、鷗外の文語訳との違いだろう。鷗外の即興詩人は、その文調の見事さから原作をしのぐとまで言われた。それに対して口語訳を挑んだ訳者である安野氏自身は、日本文化としての文語文の文章の美しさを高く評価し、それが消えてゆくのを惜しむ。彼自身の青春の書であった即興詩人を現代人にも親しみやすくするために口語訳に挑んだ。
600ページに及ぶ長めの小説だが、ご本人の思惑通りとても読みやすく、流れるように読み進むことができた。さて、その次には安野氏ご推奨の文語文の方を読まねばと思うが、さしあたって文語で書かれた森鷗外の短編を少し読んでみようかと思う。