天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

森鷗外の小説

 口語訳の「即興詩人」を読んだのをきっかけに、本家の訳者森鷗外の作品を少し読んでみた。文語文の小説とはいかならんとて読みにける。もう影響されている。
 はじめに「舞姫」を読んだ感想は既に書いたが、もうひとつ「うたかたの記」というのも文語文で、19世紀のバイエルン国王のルーチヴィッヒⅡ世というのが、非業の死を遂げた陰で、一人の娘の生き様と死を書いている。やはり鷗外自身の体験的な部分があるだろうか、巨勢(コセ)という留学生とその娘の出逢いも含めて、なかなか面白い短編だった。
 ほかに「鶏」というのは、文語文ではないにしろ、明治の頃の物の言い方で書かれているので味わい深い。妻を失った一人の軍人の地方勤務の生活の様子が書かれている。昔の「軍人」とはかくあらんと思わせられるような、その淡々とした生き方に好感を持つ。軍隊の是非はちょっと横に置いておいて、侍的なありようがさっぱりしていて、今で言えば断捨離を体現しているような生き方が描かれている。しゃべりかたなどは、父親の口ぶりが思い出される。
 つぎに「かのように」。思索的な主題とも言えるが、明治の青年たちの真面目な考え方に、背筋を正すような思いもする。当時も皆が皆真面目であったわけでもないだろうが、すべてが物やお金中心ではない考え方がまだまだ市民権を得ていた時代、というように思える。
 「堺事件」というのも面白い。大政奉還後、戊辰戦争幕府軍が敗れた後、関西地区を統治したのが薩摩、長門、土佐の三藩だった。堺を治めたのは土佐藩だったが、そこにフランス軍が違法に上陸して不貞をはたらく。そこで土佐の警備隊と争いになり、フランス側に20人の死者を出した。仏側の要求で、土佐の下手人20人の死刑が決まった。ところが、銃を撃ったものが26人の自己申告があった。これはくじ引きで20人に絞られた。更に、この20人は自分たちは国のために戦ったのだから、朝命に従うのはいいが、罪人扱いではなく武士として切腹をしたいと申し出た。これも認められて、いよいよ切腹の当日、仏軍の代表と兵士たちもたちあう中、順に一人ずつ腹を切り始めた。それぞれ、腹を切ってから介錯人が首を落とす。みな初めてのことで、介錯も一度にできず、二度三度。腹の中の物をつかみだす者もいる。そのあまりのすさまじさに、フランス人が途中で退席し、切腹は11人で中断となった。その残った9人がその後どうしたか、というところまで書いてある。
 森鷗外の小説というのは、古い時代のもので、現代小説のはしりで、古いということに意味がある程度だろうと思っていたが、なかなかどうして今読んでも十分に楽しめる。文語文の味わいもいいし、そうでない口語文のものも、当時の言い回しがうかがえて興味深い。題材がその当時の状況であるところがまた面白い。
 今更ながら、再評価させて頂いた次第だ。もっと読もう。