天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

「ライ麦畑でつかまえて」(2)

 この本の訳者の解説によると、若者たちに読み継がれている理由は、その時代を超えたテーマと自虐的で、偽悪的なピカレスク小説であるということだ。
 それは確かにそういうころはある。読んでいてもう一つ感じたのは、情景描写、とりわけ心理描写といった部分だ。心の動きが、偽悪的ではあるが丁寧に記述されている。丁寧でいて回りくどくはなく、ウィットに富んだ表現だ。これは文芸としての大切な要素だろうと思う。これがあるからこそ、おとなになろうとしている若者の心理状況が、いろんな読者に分かりやすく、時代を超えて共感を呼ぶほどになるのだろうと思う。
 ところで、この原作者のサリンジャーと言う人は、随分変わった人のようである。あまり人前には出なかったようだ。過去形にしたのは、昨年1月にお亡くなりになっている。彼はポーランドユダヤ人の父と、アイルランド出身の母を持つ、マンハッタン生まれのアメリカ人。ややこしいようだが、アメリカってこういう人たちの集まっている国だ。WASPが牛耳っているといわれるが、なかなかどうしてユダヤ系の人たちもスゴイ。
 本の中の言葉で、小説であるにも関わらず、思わず印をつけた個所が2か所ある。一つ目は「なにしろ、台なしになるものがはじめからないんだ」という言葉。そう、これって人生そのものじゃないかって感じた。思い込んだことがあれば、ガンガンやればいい。怖がることはない。歳をとればとるほど、無茶なことをするとそれまで築いてきたものを無くしたりしないかと、心配してやりたいことをしなくなる。おとなしくなる。おとなはおとなしくなるので、おとなと言うのだろうかと思うくらいだ。
 そう、この言葉は「失うことを恐れるな」というシビレル一言に通ずる。こちらの一言にしびれてこのタイトルの本を買ったのだった。台なしになるものなんてはじめから無いことに気づかなくっちゃ。
 さてもう一か所は、「未成熟な人間の特徴は、理想のために高貴な死を選ぼうとする。これに反して成熟した人間の特徴は、理想のために矮小な生を選ぼうとする点にある」という部分だ。これは著者がウィルヘルム・シュテーケルと言う精神科医の言葉を引用したものだ。この本の主題に関係のある一言だ。
 ともあれ、なかなかの書であり、村上春樹氏が翻訳し直しをしたくなった訳だ。ここで私的に危ないのは、では新しい方の訳本を読んでみようと言う気になっていることであり、原本も英語で書かれている以上読めないわけではない。原文を読みながら翻訳を比べてみる、ということをやろうとすることだ。面白いであろうが、今はとてもその時間が無い。私は忙しい。危ない危ない。