天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

「ライ麦畑でつかまえて」J.D.サリンジャー(1)

サリンジャー的表現で、サリンジャーを語る。
 5月の陽気に浮かされて、歩いて床屋に行くことにした。背筋を伸ばして、サクサクとかっこつけて歩くと体にいいというので、ジョギング代わりにそうやって歩いてみた。風は有ったが、暖かい中を必死に歩けば汗も滲む。
 やっと床屋のあるショッピングモールのビルに到着。自動ドアの開くのもどかしく、中の冷気ですっきり気分爽快になろうとしたら、あにはからんや中はモワーッとした温度。なんだろう。
 クソッ、節電していやがる!今時は地震のせいか東電のアホのせいか、節電が必要な社会情況ではあるので致し方無い。とはいえ、この先の夏が思いやられる。
 歩いている途中、読み終えたばかりのサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」という作品のことを考えていた。4日前の日記でも少し書いたが、この本は結構古い本だ。最近、流行作家のだんなが翻訳し直している。元の訳文が気に入らないのか。今日、元の訳者の解説を読んでわかったのだが、この原作が世に出たのは俺の生まれた年だった。それくらい古い。つまり著者も訳者も俺より古い人間てことだ。舞台はニューヨークはマンハッタンで、五番街とかセントラルパークとかが出てくる。そんな時代から今のマンハッタンの町並みは基本的に変わっていないってことだ。だが、ダニエルの小説に出るソーホーなんかはこの頃はまだ無かっただろうな。
 ともあれ、この本は現代の若者にも広く読まれている。これだけ古いのだから「古典」と言えないだろうかと思っていたら、解説には「近代古典」と書いてあった。そんな分類があるのか。それほど古いのであるが、現代の若者にも充分共感を得る内容なので、読み継がれている訳だ。しかも各国語に翻訳されていて、広く世界の若者の共感を得ており、中国でも若手現代作家に影響を及ぼしたのだ。中国語訳もあるのかな。それとも英語で読んだかな。
 若者達の共感を呼ぶポイントは、純粋な少年が、老練な大人の世界になじめないで葛藤している姿だ。これはいつの時代でもあることなので、作品の書かれた時代が古くても関係ないということだ。時代背景が問題になるようなテーマではないのだ。それと、この記述が口語というだけでなく、偽悪的な表現が笑いを誘うユーモアともなり、読みやすいということもある。がしかし、今回読んだのは訳本で、しかも古いほうの翻訳。訳者の年齢は、今生きてれば94歳だ。生きてるか死んでるか調べてはいない。
 おっとネットで簡単に調べてみると、この本が出てから10年後くらいに亡くなっているらしい。ともあれ、それくらいの年齢の方の訳なので、時々単語が今風でない部分がある。なので、翻訳しなおそうというトンマが現れるのかもしれない。
 「トンマ」という言い方は、訳の中でも出てくる。乱暴ではあるが、場合によってその示す対象に親しみを持っていることのある表現だ。第二の訳者である村上春樹氏のことを本気でトンマと思っている訳ではない。あくまでもサリンジャー的表現を用いているのだ。しかしこの偽悪的表現が、オイラの感性にぴったりくる。そいういうところも若者たちに受けるのだろうと思う。
*語り続けると長くなるので、今日はここまで。ダラダラと書いていると、最後まで読んでもらえないカモしれないからな。