「人はなぜ戦うのか」考古学から見た戦争 松木武彦
戦争を考える本シリーズの中の1冊。だがずいぶん時間をかけてしまった。その理由は前半が考古学的考察に終始していて、現代の戦争を考えるにはイマイチのような印象を持ってしまったことと、他にやることが多いと言う言い訳と、やはり本を読むと言う集中力が欠如してきたからかと。
著者は考古学者であるが、最後の章でちゃんと「戦争はなくせるか」というテーマで現代の問題に一考察を与えている。
さて、ここでの考古学的考察は日本を中心としたもの。
縄文時代から弥生時代へ変遷するころから争いが起きる。即ち、自然の恵みを直接食して暮らしていた頃に争いごとは無かった。半島経由で稲作が始まった弥生時代から、作物の蓄積が集団ごとに行われ、作物をより多く作れる条件を求めて集団が争うようになった。あるいは、大陸からの献上品などの奪い合いが争いの種だったらしい。
初期の争いは、リーダーの対決で決着がついたり。ということで、そのリーダーを埋葬した墓にはそうした武具や大陸からの品々の埋葬品が多いと言うことだ。
細部を省略してまとめると、日本における集団同士の争いは、国内のいざこざの域を超えていない。大陸のように国家間の戦争に発展しなかった理由は、日本が海に守られた島国だったから。
その中で日本の武具は独自の発達をして、一つの文化のようになった。権威を示すことが種目的な鎧帷子。日本刀はより切れ味のいいものを求めつつ、その美しさを評価されるようになった。
海に囲まれて恵まれた国日本は、「鎖国」することで独自の庶民文化を開いたが。幕末から異国の揺さぶりにより、体制を維持することができなくなって開国した。
この時、ドッカンと大砲を鳴らして日本を開国させたのがアメリカだった。以来アメリカは日本を食い物にしている、という歴史がある。
明治維新以降、日清・日露の戦争に勝利した形になって、日本のリーダーたちは舞い上がって大平洋戦争へと突き進む。細部は省略するとこういうことかと思われる。
右翼的な学者は、あの時代、帝国主義的な動きで植民地の獲得に躍起だったのが、そこに遅れまいと躍起になった日本が、結果的に欧米の支配からアジアを解放した。ということを言う。が、そういう面もあったと言う程度に理解しておいた方がいい。
どうしたら戦争をなくせるかと言うくだりでは、資源の問題、経済の問題がカギだった時代もあった。しかし、情報も物も容易に海を渡る時代。平和裏な取引こそ互いの生存を確保する。そこのところに思いが至らない者は、政治家というリーダーの立場にあってはならないと思う。
色々考えさせてくれたいい本だと思う。歴史の勉強にもなった。