天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

からゆきさんの唄

シルバーウィークも終わり、世の中は通常の働く生活に戻った。が、連休中もSEAL'sなどの戦争法案の廃止を求める運動は続いていた。これは選挙を見通した長期戦になる。が、通常生活を維持しながら息切れをしないように続けることも肝要。 というわけで最近追っかけていたからゆきさんの本のことを書こう。
一連のからゆきさん関連本の最後に読んだのはこの本。倉橋正直氏の本だ。タイトルから受けていたイメージは、からゆきさん達の様子がある程度具体的に描かれているのだろうというものだった。それはそうであったが、実際にからゆきさんたちが歌った唄があった。浦汐節というのがそれ。読んで字のごとく、北のからゆきさん達の玄関ウラジオストックを中心に歌われたことから、こう呼ばれている。

歌い継がれているあいだに、歌詞はいろいろ変化し、いろいろな替え歌になっていったらしい。いろなバージョンの浦汐節があることが書かれている。哀歌浦汐節というわけだ。哀しいのは、大半がまだ少女のうちに売られて、こういう唄でも歌うことが唯一の慰めであったということ。
そもそも今回一連のからゆき本を読んだのは、CARAVANさんのブログに嶽本新奈さんという方の本が紹介されていたことがきっかけだった。従軍慰安婦の問題を考える上での参考にもなると思ったのだった。が、数冊の本を読んで認識したのは、明治初期以降、すなわち日本の開国から日清、日露の戦争を経ながら海外進出の歩みをする中で、おびただしい数のからゆきさん達が海外に出ていたことだ。これは、当時の社会現象、経済現象であるととらえられている。開国直後で、外に対して売るものが何もない中で、春をひさぐからゆきさんたちが稼ぎに出かける余地があったのであり、このことが海外での活動を支える原動力にもなったため、政府もこれを商売にする者たちを厳しく取りまらなかった。好都合であったともいえる。
一口にからゆきさんと言っても、うまくお金を稼いで里帰りした人たちはほんのわずか。わずかでもそういう人がいたので、貧しい地域では娘を外地に送り出すことにさしたる抵抗を感じなかったという哀しい現実。
これに近いことは、今も起きている。日本人女性が外に出るのではなく、日本に稼ぎに来るじゃぱゆきさん。それに一時の中国のシャオジエ(小姐)たちもそれだと思う。貧しい田舎から貨幣経済に移行した社会で現金を得るために少女や妻たちが大きな町、外資系企業のあるような都市に出て稼いでいる。
貧困問題、格差の問題はこういう現象も視野に入れて対策がこうじられなくてはと思う。