天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

「北のからゆきさん」 倉橋正直

嶽本新奈さんの「からゆきさん」を読んでから、からゆきさんづいている。そのうちいっぱしの研究者のようなことを言い出すかもしれない。
その後、山崎朋子さんの「サンダカン八番娼館」、森埼和江さんの「からゆきさん」を読み、そしてこの本。以前の本はすべて女性ライターだったがこれは初の男性研究者によるもの。
前の3冊で、からゆきさんは東南アジアだけでなくシベリア、満州方面にも大勢の日本人女性が出ていたことが書かれていたが、この「北のからゆきさん」はまさにそちら方面に行った女性たちの実情が書かれている。

この人の説明によると、からゆきさんという現象は極めて経済的要素によるものだという。日本でこういった現象が起きたのは、明治の初めから戦前までのころ。戦前といっても敗戦直前まででなく、もう少し前の日中戦争開始前くらいだろうか。
経済的要素と言われる意味には二つあるようだ。一つは、鎖国時代から明治維新となり、よのなかの経済活動が活発になる。一方で農村などは貨幣を手に入れる手段が乏しい。豊作な年でなくては勢い貧困と隣り合わせの生活になり、とりあえずお金を手に入れる方策として身売りということがあった。江戸時代から貸座敷という形の廓があったので、日本よりもたくさん稼げる場所として海外が選択肢にあったというわけ。
もう一つは、日本の海外進出の裏舞台としてからゆきさんたちの海外進出があった。裏部隊とは男たちの海外進出を支える存在であったという意味での経済要素。
これは、男たちが単身赴任で働きに出やすくするためのお世話役的な意味合いと、現地の労働力への不満のはけ口という役割があった。もちろんそればかりではなく、からゆきさんの「成功事例」としては、向こうで金持ちの世話になって豊かになった女性もいるにはいた。
ところで、北のからゆきさんの入り口は大連だった。もしくは更に北方のウラジオストックだ。
大連に渡るのも、日露戦争前のころからの話で、戦争がはじまると進出が止まり、戦勝とともにまた大量に渡り、今度は満州国に稼ぎに出ようということになる。しかし最後は敗戦、引き上げという悲惨な末路になる。
向こうに渡った女性たちで、騙されて売られたり、まだ子供だったり、病気になって働けなくなったりと不幸な境遇に陥る人たちがたくさんいた。そういう人たちを文字通り助けたのが救世軍だったという事実は興味深い。今のように、年末になると募金を集める救世軍ではない。組織的に彼女たちを助け、場合によっては日本に送り返すことをしていたらしい。当時は気骨のある人たちがいたものだ。
この男たちの経済活動を、身をもって支える、あるいはまずは現金を手っ取り早く稼ぐ役割を担っていたからゆきさんは娘子軍ともよばれたりしたが、社会一般では醜業婦と呼ばれてさげすまれた。これが、軍が進出するときに連れて行かれた従軍慰安婦の問題と重なってくる。この点は、著者の倉橋正直氏は別の本で分析している。「従軍慰安婦問題の歴史的研究」という本がそれ。次はこれを読むことにする。
それにしても、からゆきさん達を経済現象としてとらえる見方は、現在の、あるいは少し前の中国の「小姐」の存在と同類のものに見える。