天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

島原のからゆきさん 倉橋正直著

やりたいことと、やればできることが沢山あるけど、とても全部を思い通りにこなすことは出来ないな、と思う今日この頃。今日は冷静に、読み続けているからゆきさん関連の本について書いておこう。

本のタイトルが「島原のからゆきさん」となっているが、実際の内容は岡山県真庭郡出身の広田言証というひとりのお坊さんの紹介になっている。
この人は、寺の血筋でも何でもないが病気になったのがきっかけで、四国巡礼をして仏門に帰依する。そこで托鉢をして歩き回るが島原の地でからゆきさんとの出会いがあり、そこに大師堂という寺を建立する。
かれは仏を追求するあまり、インドに出かけて釈迦の出生地と亡くなった場所を訪ね歩く。今と違って手配する旅行会社もない時代に、英語も話せないのに、一人ではだしの托鉢姿のまま出かけてしまう。このころは病気などどこかに行ってしまっている。
インドへの旅の途中、アジア各国を経由するなかで、各地に出ていたからゆきさんたちに出会う。その各地で施餓鬼をしていて、その写真が残っている。とんでもない坊さんだ。

からゆきさんたちは、わざわざ外地まで心を慰めに来てくれた言証坊さんに感謝し、まとまった額の寄付金を送る。そのお金で、インドから持ち帰った如来像を安置したのが天如塔という建物で、今も島原に現存するらしい。
この人のふるまいは、どこか中村天風さんに通じるものがある。病気になって、インドに行って、半生を人を救うために生きるというところ。
著者の倉橋氏の記述の中で、この言証さんと当時の救世軍のからゆきさんへのかかわり方との違いを述べている点も興味深い。救世軍の人が、実際にそこで困難に会っている女性、例えば騙されて連れてこられた少女だとか、病気になって日本に帰りたくても帰れない人たちに具体的に救いの手をさしのべようと努力するのに対して、このお坊さんはあくまでも宗教者として、心の平安を与える役割をしている。
どちらがいいかなどという議論は意味がない。この世を達観して己の欲のためだけに動かず、少しでも自分にできることで困っている人に手を差し伸べる。そういう生き方に感動する。そういう人が政治をやれば、日本の世の中まったく違った様相を呈するかもしれない。自分の今後の余生の過ごし方の参考にもなる。
次はまた「からゆきさん」の本はやはり倉橋氏の「からゆきさんの唄」という本をゆっくり読んでいく。