ディレイド日記 「台湾の歴史を考える人物講座」
一夜明けて、令和になったわけですが、この令和という字に違和感を覚える学者がやはりいるようです。私も「令」の字が「冷たい」の部首と、「命令」の「令」につながることで、あまり好ましく思っていません。そういうことは置いといて、淡々と振りかえり日記を書いておきます。
日記として始めたブログだが、最近は夜中に書くことをやめているので、今日の出来事よりも振り返りを書くことが多い。という訳でdelayed diary。
掲題の「台湾の歴史を考える人物講座」第1回というのに行った。4月29日のこと。
私は、中国によく行くが台湾にはあまり行かない。行ったのは、仕事で2度とゴルフで1回。台湾に行って感じるのは、親日的ということだ。50年の日本の統治があったが、その間、そこに関わった日本人は一言でいえばまともな人が多かったということか。
今回の講座も、その実例のような人の紹介だった。話してくれたのは簡憲幸さん。実は二胡のご縁で知り合った。先日の金大偉さんのイベントも主催している人。そこでお目にかかってお話してみると、私が時々記事を書いている「二胡之友」という雑誌を出している人だった。
中国籍の人かと思ったら、台湾と日本のハーフだそうだ。お父さんが台湾人で、お母さんが日本人。お父さんは台湾で、軍属だったとか。そのお父さんの経験や話が、今回の講座の元ネタ。
主題はこの今村均という軍人の生きざまであり、敗戦時に現地の戦争裁判で、戦争責任は自分にあり台湾人の軍属をかばったというエピソードであるが、まずもって太平洋戦争とは何だったかということの説明から入った。
即ち、太平洋戦争は大日本帝国対アメリカ合衆国の戦いではなく、多くの国や地位を巻き込んだものだった。日中戦争も日本の英米蘭との開戦を機に、蒋介石中華民国政府が日本に宣戦布告したことで太平洋戦争に含まれることとなった、という説明。
そして戦争が激しくなると、台湾や朝鮮半島で現地の人が徴用されることになるが、その当時強制連行ではなく、日本人になることを望んだということだった。しかし敗戦となると、彼らには日本の軍人とは認められず、軍人恩給も支給対象からはずされている。
慰安婦についても、同様の論議がある。あれは娼婦として商売していたという説。
どちらもあったのだろう。50年に及ぶ長い日本の統治の間、日本語教育で育ち、また日本がいたからいいことがあったという話は、ことに台湾に沢山ある。そういう環境で、またこの今村均氏のようにフェアな人間がいれば、日本のために働こうという気になるのは人情。
また、麻生炭鉱のような悪徳業者は、朝鮮半島から安い労働力を集めて人間扱いしなかったというのも本当だろう。
この集まりで面白いと思ったのは、決して多いとは言えない参加者の世代がいろいろだったこと。若い世代もいた。こういう所に来るだけあって、社会活動をしている人で、今村均氏の話を聞くに及んで涙する様子が伺えた。こういう話を心を込めて聞くのはいいが、軍人を美化するように解釈しないといいが。
また最年配と思われる方は、新聞か何かメディアを職業としていた方だったが、最近の新聞報道の貧弱さについて、現地取材がされていないことを嘆いておられた。今はネットで世界中の様子が分かる時代とは言え、発信者が発信したいことが流れるだけで、本当のところはどうなのか、記者はどう感じたかを直接見なくてはまともな記事が書けないという指摘だった。なるほどそうか。
という具合に、得るところの多い集まりだったと言える。
軍人を美化しかねない話は気をつけて聞かなくてはならないが、簡さんのお父さんは、「いい日本人は戦争でみな死んだ。残ったのはロクでもない人間ばかり」と嘆いておられた由。つまり東京裁判で米軍と取引の上生き残ったA級戦犯が首相になり、その孫がまた首相となって、平和憲法を蔑ろにしようとしている。
令和の時代に、そういう連中を冷たく政界から追い払わなくては。そうだ、それがいい。せっかく元号が変わって、気分を変えるなら、憲法違反の政治家を一層する時代にするってのがいい。