二周年
今日は何の日。ズバリ退職記念日。2年前の手帳が残っているので、ちょっと確認してみたら。3月15日まで勤務をしていて、16日の朝8:50の広州行の便に乗っている。退職旅行のつもりで出かけたのだった。
最後の勤務先でやめる前にトイレが頻繁になっていたので、老人性の前立腺肥大だろうと思い、検査をしてもらっていて、結果を待たずに出かけたのだった。それが癌だったとはつゆ知らず。帰国して驚いた。
ともあれあれから2年。すっかり会社に行かない生活に慣れた。朝から好きな中国茶を飲みながら、今日は何の日と振り返る。今日のお茶は鉄観音茶。
2年前の旅を少し振り返ると・・・。広州に着いて、翌週の1週間は二胡のレッスンを受けていた。事前に孫ちゃんに相談して、今やなじみの楽器屋さんや知り合いに尋ねてもらい、教えてくれる先生を探していた。日本で習っているので、どうしてもという必要にかられてのことではなく、お安く体験できるならちょっと習ってみたいという程度の気持ちだった。
行ってみて、紹介された小さなミュージックスクール。二胡の先生もいるという。それが80才の男性だった。レッスンよりも、そのこと自体がいい刺激になった。教え方も自分の先生とは違う。1週間という期限付きだったので、その中でできるだけのことを教えようとしてくれたのだな、と今にして思う。
中阮という丸いギターのような楽器を買ったのもこの旅行に時だった。日本に郵送してもらった。これが後で若干面倒なことになっていた。
ともあれ、あれから2年。すっかり二胡中心の生活になっている。孔子学院で沈琳先生と出会ってから、今年の5月で6年になる。まだまだ未熟。やればやるほどもっとうまく弾きたい、難しい曲もこなしたい、ということになる。なのに、人前で演奏することを憚らない。実際、6年前の5月に習いはじめ、翌年の春節の会では2曲だけだが、飛び入りということで一人で二胡を弾いた。忘れもしない、「西蔵舞曲」と「マイラ」。
その翌年の春節では、日中友好協会の中国語講座に来ていたOさんと二人で数曲。確か「我们多么幸福」「また君に恋してる」「採茶捕蝶」それにもう一曲くらいあったかと。そして3年目には6人で二胡グループ「彩雲」として演奏。メンバーの入れ替わりが若干ありながら今年で彩雲3回目だった。
二胡があってよかった。と思うのは実感だが、音楽の世界は人間にとって何なんだろう、と思う。単に暇つぶしではなく、あるいは好きなことと言ってしまえばそれまでだが、自分の技量が芸術の域まで行っていないことは百も承知で、少しそんなことを考える。金さんの本は、そういう視点でとても興味深かった。これはまた別に紹介しよう。
が、芸事は理屈ではなく、練習しなくては上手くならない。今日もさっさと練習を始めよう。