思い出
断捨離をしていると、色々と保存していたものを目にする。それを持ち続けるか捨てるかの判断基準は、自分がいなくなったときに残ったものが家族に必要かどうかであろう。
年明けの先日、姉から私の古い写真や昔の作文などを送ってきた。向こうでもやっと荷物の整理をはじめたのかしら。ゴミ屋敷に認定されないか心配だったが。
送ってきたものは、小学6年生のときの修学旅行の感想文。
小学校6年生の割には長い文章を書いている。思わず最後まで読んでみた。当時の様子がなんとなく記憶の片隅からぼんやりよみがえる。表紙に昭和38年とある。ここから5年後の高校2年の修学旅行記も断捨離せずに手元にあったので、一緒にしておこう。小学校の修学旅行の行き先は、奈良・京都。中学では東京見物。高校では広島・萩方面で松下村塾なども見たっけなあ。
ついでに書類を整理していたら、少し捨てる気になったものが出てきた。なかでも不要なのにとっておいたのが富士登山競争の記録。最後に参加したときのものがとってあった。これなどは、前記の基準では断捨離対象として今回破棄することにした。せめてここにアップして記録したつもりになろう。
などと昔を思い出す時間が増えた。年齢を経るごとに昔が長くなるので、思い出す事柄も多くなる。以前読んだ五木寛之氏の本では、こういうことも老人の楽しみの時間とされていた。思い出せるうちはそれも楽しいが、思い出せなくなったらもうアカン。それでも家族にあまり迷惑をかけずに天に従って生きていられるならよしとすべきか。
しかし目前のところは、思い出だけが楽しみという状況ではない。もう少し積極的な楽しみを求めて行動するかな。