天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

福島の今

 おかげさまで今日も電車で都心へ。都心かな?またまた王子の北とぴあ。これで5回目の電車のお出かけ。
 最初が外大に映画鑑賞。次が王子の北とぴあ市民運動の新年の集い。三回目が渋谷のセルリアンタワーにあるおしゃれなジャズハウスで、二胡の先生の沈琳さんのグループのライブ。
 こちらは、いつもながら素敵な演奏が聞けて楽しかった。サプライズが、演歌歌手の知里さんという人が客席にいて、ピアノのヒロミさんと知り合いとかで飛び入りで「イヨマンテの夜」を歌ってしまった。迫力のある声で驚いた。

 昨日は、今年初めての「呼吸法講座」。これは、ガンが治った宣言をするまで欠かせない。
 そして今日また北とぴあで、かねて申し込んであった小出裕章元京大原子炉実験所助教の話を聞きに行った。この人は時々テレビで見たりしていたが、直接話を聞くのは初めてだった。
 テーマは「3.11から7年、福島のいま・・・」というので、メディアが報じない福島の実態が聞けるだろうと思っていったら、それ以上の内容であった。


 福島では、原発事故から7年経て帰還許可区域について住宅支援が打ち切られた。しかしその地域の汚染量は、まだまだ放射能管理区域の基準以上にある。そこに帰ると幼い子供ほど体への影響が大きい。将来発がんするリスクが高い。
 話は、1945年3月10日の東京大空襲から始まった。この時東京の大部分が焼け野原となり、10万人の人々が焼死した。300機以上のB29が東京の空を覆って落とした爆弾の被害だ。それでも日本は戦争をやめなかった。まずこれが異常だということ。
 そして同年の7月16日に初の原爆トリニティが米国で実験成功。ポツダム会議の前日のこと。そして8月6日の広島、9日の長崎と続いた。
 話は歴史認識の方向になるが、日本はここで無条件降伏をした。しかし、朝鮮半島では争いは終わっていなかった。米国の防共ラインに日本が利用された。それが1950年戦争であり、そこに日本を基地にして米軍機が飛び立っていった。この戦争は現在休戦状態が続いているだけで、平和解決はしていない。 北朝鮮はそのご何度かアメリカに平和交渉を求めるが米国は応じない。そこで核抑止力などといって核開発に踏み切った。
 アメリカの核の傘の下にいる日本が、もとはといえば日本が起こした戦争の延長線で分裂した朝鮮半島の国に対して、慰安婦問題の更なる謝罪を拒否したり、北には経済制裁で核を放棄させるなどとアメリカのちょうちん持ちをやっている。
 この情けない日本の政権を変えなくてはならないが、選挙をやれば自民党が勝ってしまう。マスゴミを抑えて教育統制をしていては、国民はなかなか政府のウソを見抜けない。横に倣うのが安全という国民の性質はどうしようもない。
 ではどうしたらいいのか。今日聞いた話を身近な人達に伝えてゆくことで、多くの人が気付くようにしてゆくしかない。というようなことが結びとなった。この件は整理して別に書いておきたい。