天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

断捨離

断捨離という言葉がいつごろから使われるようになったのか知らないが、いまだにこれが問題になる。要するに物が捨てられないで、困っている人が多いのだ。
これはどういうことか。社会経済学的に見ると、物があふれている国はそうなんだ。庶民が物資に不足している国では、断捨離なんて問題にならない。
日本のように戦後の貧しい時代から、急に物が豊かになった国の中間層の問題だ。団塊の世代は、昔の貧しい時代に育ち、物を大切に使うことが美徳のように教育されていたのが、なんでもほしいものが買えるようになっても、捨てられないでいるのだ。究極がゴミ屋敷。
中間層でなければこの問題はない。本物の富裕層は、高級品を保管しておく場所には困らないし、物に対してもったいないという感覚がマヒしているだろう。そして物が買えない貧困層にも断捨離は必要ない。
一般ピープルでも、これが若い人になってくると断捨離などはさらっとできてしまう。少し前、究極の断捨離をしたことをネットに書いている女子がいた。断捨離したものは彼氏。
特に相手として不満は無かったらしいが、気分を一新して新しい生活を始めたかったというのがその理由。
この辺はどうだろう。熟年離婚というのもあるし、モノとはまた別の話だとは思うが、愛情がさめても惰性で一緒にいるというケースが多いのではないか。
モノの断捨離に話を戻すと、今日の新聞の広告欄に近藤麻理恵という、片付けコンサルタントという肩書の人の本が出ていた。「人生がときめく片付けの魔法」という本だ、英語版も出ていてアメリカでよく売れているらしい。この人も若い世代。
この記事を見てから二胡教室に行き、帰ったら少し断捨離しようなどと思っていたが、これがなかなかむつかしい。書類の整理が少しできただけ。物を捨てるのは不要であるとする判断基準が無いと何を捨てていいのかわからない。せいぜい着なくなった古い洋服。本は時々整理をしているが、処分する本より購入する本の方が多いせいか確実に増えている。断捨離の本が増えて困っているという笑い話もある。
近藤麻理恵さんによると、ときめくかどうかが分かれ道のようだ。この基準を採用してボチボチやろうか。