天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

日本国最後の帰還兵 深谷義治とその家族

 これは多くの人に読んでもらいたい本だ。

 涙なくしては読めない。特に最終章で、この深谷義治という方の孫娘の富美子さんが書いた文書を読んだときは本当に涙が出た。
 深谷義治という人は、日中戦争が終わっても軍の命令で中国にスパイとして残った。そのことが昭和33年に発覚しで逮捕され、その後なんと昭和53年に日中友好条約が締結されるまで上海の監獄で受刑者として生きてきた。
 他の中国で戦犯として逮捕されていた人たちが次々に帰国する中、昭和49年には無期懲役という判決を受け、かくも長き間拘束されていた理由は彼が日本の名誉のためにスパイであった事実を認めなかったことによる。この本は、その深谷氏とご家族がどうやって生き延びて日本に戻ることができたかの一部始終が書かれた本だ。
 本を著した深谷敏雄氏は、義治氏の次男で昭和53年に家族と一緒に生まれ育った上海を後に、本来の故郷である日本に来た。文化大革命のあらしの中、「日本鬼子」の子供としていわれのない虐めを受けて育った。帰国降も、満足に日本語を正式に習う機会がないまま、生きるために働いてきたので、ここに記された文章に行きつくには娘である富美子さんやその他の方々の協力があったようだ。
 それにしても、深谷氏の体験はすさまじいものがある。よくも生きて帰ってこられたと思う。と同時に、そこまでして日本という国の体面を保とうとした意志の強さに感服する。彼がそこまで大切に思った国家とは一体なんだろうと、改めて思わざるを得ない。
 そして、彼は中国人の妻を娶って家族を持ち、中国人になりすまして戦後も中国に潜伏した。彼の家族はスパイとして中国社会に残るための結婚ではあったが、その家族が、夫であり父である義治氏を思い慕い続けてきたことに感動する。しかも時は国共内戦から文革という激しい時代の流れの中だ。
 本人とご家族が、大変な経験をして日本に戻れたことはよかったとして、問題は深谷氏とその家族を大変な目に合わせたのは日本という国の仕業であるということと、であるのに十分な償いがされていないということだ。日本の体面を保つために、まさに体を張ってスパイであることを自白しなかった深谷氏に対して、十分な軍人恩給すら支払われていない。
 軍の命令を受けてスパイ活動を継続したにも関わらず、国家はそのことを認めて中国に謝罪しているわけではない。彼の釈放と帰国に関してはしかるべき機関が努力をしたが、陸軍が組織的に行った慰安婦の問題と同じように、国として行ったという歴史認識がされていない。彼は、中国であれだけ隠し通したにも関わらず、確かにスパイであったことを帰国後のテレビ番組で語った。彼にスパイとして残るように命令した当時の上官もそれを認めている。
 孫の富美子さんの書いているように「さむらい」である深谷氏は、愚痴になるようなことは多くは語らない。しかし、私たちはここに書かれた事実を、日本という国がどういう国なのか、世界ことさらアジアの中でどのように存在しているのか、あるいは存在すべきなのか、よくよく考える糧とすべきだろう。