天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

華僑召喚政策

 1949年に中華人民共和国が成立して以降、文化大革命が終わるまで、中国の人民は大変な苦労を余儀なくされた。即ち、三反五反、百花斉放・百家争鳴、反右派、大躍進、そして文化大革命。これらは、建国の動きであると共に、共産党内の権力闘争の過程ともいえよう。これらのことに人民は翻弄され、そのことがかなり長い間続いたため、簡単に他人を信用しない国民性のようなものが出来てしまったのではないだろうか。あるいは、頼れる者は家族のみ。
 80後(パーリンホウ)とか90後(チューリンホウ)と言われる中国の新人類は、そういうことを昔話としてしか知らない世代であり、新しい中国の文化とか国民性を作り上げてゆくと期待ができるのでは。
 ところで、新中国建設直後、「華僑召喚政策」(1953年)という政策もあった。革命、即ち旧制度の崩壊から始まった新しい国の再建を、海外で成功した人達、あるいは先進技術を学んだ人達を呼び寄せて行おうという政策だった。
 この時、日本で生活していた人もその呼び掛けに応じて中国に帰っている。日本人と所帯を持った人の娘だった岡田暁子さんという方は、当時4歳。せっかく帰国した父は、結局労働改造所に送られで命を失う。敗戦とは言え、平和になった日本にいれば命を落とすことも無かったろうが、中国人として新中国の建設に加わろうと言う希望にあふれていたのかもしれない。
 岡田さんは15歳で日本に戻ることができたが、義務教育年齢を過ぎていたことから、学校へも行けず働かなくては生活もできなかったとのこと。やっと夜間中学を卒業できたのは50代になってからのことだった。
 当時、中国で色々たあった大変な出来事は、お隣の国の事であって、日本人とは関係のないことのようにも思えるが、そこに色々な形で巻き込まれていた日本人がいたのだ。中国残留孤児と言われる人達もそうだ。たまたま親が政府の薦めで開拓団として満州にわたり、そこで敗戦となり命からがら逃げろ途中で、残されてきた人達だ。
 そういった中国からの帰国者を、日本政府はもう少し暖かい対応をすべきではないのか。
 岡田さんの話を聞く会が持たれている。下記のURLを参照ください。

http://www.shiencenter-hachioji.org/event/event_detail.html?q=ev120327-160615