天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

「勝者も無く敗者も無く」 曽野綾子

 文庫本の初版で1981年の本が古びて出てきた。その頃買って、読んだか読まないでほおっておいたものに違いない。舞台は1975年の内戦下のレバノン。そこから脱出する学者夫婦の様子。語り手はその奥さんであるが、曽野綾子節の語り口で、ご本人の体験談のように読めてくる。
 1981年当時といえば、自分は学校を出て、会社員になり結婚して子育ての最中。海外には一度も行ったことも無い頃。なので、戦時下のレバノンと言われても何もピンと来ないで、遠いところでの出来ごととしか感じなかったのだろう。そこでこの本は忘れられていた。
 その後、仕事で度々海外にもゆき、最近は中国にブラリ旅をしたり、色々な出来ごとを経てきた今読むと、なかなか面白い本だと感じる。どんな本か。解説者いわく「堅苦しい副題をつけるとすれば『極限下における比較民族文化論』または『危機における在留邦人』の研究」としている。まさによういう内容だ。
 主人公の学者夫婦は、ある意味好きで内戦状態のレバノンに留まり、そこの有様を観察し、いよいよという段になって陸路脱出をするという物語。その地に仕事で来ている外国人や住み着いた外国人、地元の人達の人間模様が一つの読ませどころだろう。
 戦争、特に内戦というものの受け止めかたが日本人とかの地とでは違う。日本人は、戦いと言うと勝つか負けるかしかないと思いがち。先の戦争も敗戦直前は「一億総玉砕」などと、勝つこと以外はこれしかないという一種の洗脳による全体行動に導かれていた。その影響が今でも抜けきれないのかもしれない。スポーツでも、体罰を加えてまでも勝つための訓練をさせたりする。
 そこへゆくと、相手の面子を考えた戦いとか、駆け引きの為の武力といったものが中東情勢にはありそうだ。庶民はいい迷惑だ。砲撃が静まれば市がたつ。これをたくましいとみるか、リスク認識のない無定見と見るのか。生活の地から逃げだせば「難民」となるしかない。難民キャンプに定住するというおかしな現象も出てくる。
 それにしても、最近の日本人は平和に育った人達がほとんど。そういう人達が取り仕切っており、戦争と言えばゲームのようにしか理解できない輩が平気で軍備の増強が必要だと言う。
 日本の良さを世界に売り込もうという動きがある。商売や、仕事のやりかたのことだ。それはそれでいいことなのだろうが、世界は広い。相手はさほど甘くは無い。心してかかることが必要だろう。