「海狼」呉民民著
以前から気にしていた著作。中国語教室に行くとき時々立ち寄る図書館の中国文学の棚にあるのを、連休中の読書用に借りた。
中国人作家による、日本の元憲兵が満州から終戦とともに命からがら日本に戻るまでとその後の話。といえば簡単だが、そう簡単な話ではない。
主人公高橋健司はまだ若い医学生の時代に、終戦の三カ月前の満州ハルビンに憲兵として送り込まれる。そこで敗戦が確実となった時に、ハルビンの七三一部隊の石井四郎部隊長がアメリカにその部隊での研究成果を提供することで東京裁判での告発を免れようとした、その通訳を仰せつかった。七三一部隊とは森村誠一の「悪魔の飽食」に書かれた日本陸軍の細菌兵器研究の部隊で、多くの中国人捕虜を使って人体実験をしていた。国際法上禁止されている行為であり、人道的にも許せないことをしていた。石井は、この事実を隠ぺいして、アメリカと取引をして自らの戦争犯罪を免れている。
この事実を直接知る立場になった高橋は、戦後処理の権力により命を狙われることになった。アメリカにとって都合の悪い事実であり、戦後処理がアメリカ主導で進む中、ソ連はこの事実の生き証人である高橋を確保してアメリカ攻撃の道具にしたかった。
高橋は、憲兵仲間のと三人で日本への逃亡を始めるが、仲間の裏切りによりソ連軍に捕まる。そこも命からがら脱走した高橋は、アメリカ、ソ連の両方から狙われる存在となってしまった。その逃亡を日本人を理解するある中国人の一家が助ける。その中でその家の娘と命をかけた恋に落ちることになる。
その娘を妻として連れて朝鮮半島経由で日本に向かう途中、裏切った仲間に復讐をし、日本への復員船の切符を手に入れる。しかし高橋達が乗り込んだその船は、謎の爆破事故で沈んでしまう。その船は、ハルビンの七三一部隊の器材をアメリカ船に積み込む手伝いをさせられた日本人たちが多く乗船していた。また細菌の積み込み時に中のものが漏れ出して感染者が多く出ていたとも伝えられている。爆破は、そういった人達の証拠隠滅ではなかろうか。
ともあれ、その事故から高橋は中国人の妻と別れ別れになる。彼は日本にたどり着くが、妻は事故の衝撃で記憶を失ったまま韓国で同じ船で助かった中国人に助けられ、高橋の子供を産む。
高橋の方は、たどりついた山口県豊浦で米兵強姦事件の被害女性と運命の出会いをする。彼女に助けられつつも、最後は彼女が彼を探して上京することで警察に見つかってしまう。
警察の方も、ただひたすら職務に忠実な官憲と、ソ連のスパイと通じた社会主義思想にかたよった中央官僚とがいたりする。
この物語はフィクションと言いつつも、森村誠一の「悪魔の飽食」がフィクションとされているのと同じくらいに極めて確かな事実調査に基づいたものであろう。
戦争は、戦後処理の段階でも結局は日中韓の庶民が犠牲になり、哀しい思いをしてきた。その中で、純粋な愛情に基づく振る舞いすら結果として悲劇になったりする。
戦争の悲惨さを訴える小説であり、当時の社会情勢をよく知らしめてくれる物語だ。2004年に書かれ、翌年日本語版が出ている。もっと広く読まれていい本ではないだろうか。