中国からの手紙
今やインターネットで世界は繋がっており、中国の友人たちともメールなどで交信している。携帯電話の短いメールもある。中国語を理解して、そのような機器を持ちさえすればたちどころに連絡が取れる。世界は狭い。便利な時代になったものだと思う。
一方、そのような謂わばデジタルな世界から、遠く離れた暮らしをしている人々はまだまだいくらもいる。中国に置いておや。
今日は一通の封書が、中国は安徽省から届いた。アナログな手紙。 手紙の主は、上海で出会った人からだった。
武漢から上海に戻り、ネット予約したホテルを探しているときだった。案内書にホテルの中国名が無く、案内地図上でも少しズレた場所を示したいたため、なかなか見つからずに困っていたときだった。親切に一緒に探してくれた人がいた。お礼に食事をしながら、色々話を聞くとこの人は安徽省から上海に初めて出て来て仕事を探したがろくな仕事が見つからず、知人に借りてきたお金もそこをついて、途方に暮れていたところだった。
上海にはそういう人達もいることは聞いていた。普通ならそういう人たちと遭遇はしない。たまたまこちらもホテルが見つからずに途方に暮れていたので、鉢合わせになったのだ。まさに神様のなせるワザ。そこでホテルが見つかったからといって、お腹がすいているという彼女に無情にバイバイとは言えなかった。
結局彼女と一緒に食事をして、「上海にいてもろくなことは無いのだから、田舎に帰ったらどうだ。お金が無くても農家なら家族と一緒に農業で暮らせるだろう」と言って、帰りの切符代と、友人から借りたと言う来る時の費用、それに足の悪いお母さんに薬を買いたいというその費用など、「これも神様が私たちを引き合わせた縁だからね」と言って渡したのだった。
その時に、彼女は田舎に帰ってから手紙を書く、とか、今度時間が出来たら是非安徽省の家に遊びに来てほしい。何もないけれど、自分の手で地元の料理を作って食べさせたいと話していた。我々にしてみればさして高額なお金ではなかったが、安徽省という豊かでない省の農村に生きる人たちにとっては信じられないような出来事だったらしい。
この話をした友人は「お前は中国で寅さんをやっとるな」とか、「そいつはちゃんと田舎に帰ったと思うか」などと反応は色々。その時は自分でも真偽のほどは分からなかったが、そういう行動をする他無かった。
この手紙で、彼女の話は事実で、感謝の気持ちは十分に伝わった。書きなれない字のようだが、一字一字丁寧に書いてある。決してワープロなどではない。アナログな手紙。あの時、10歳の子供がいるというので、コンビニでチョコレートのお菓子をいくつか買って持たせたそのことも書いてあった。「家族は皆喜んだが、子供がチョコレートのお菓子が美味しいと言って一番喜んだ」と。あの時、子供にこんなものを食べさせたことが無いとも言ってた。
この上海でのことは、ブログに書かないつもりだったが、今日手紙が届いて、また一人中国に友人が出来たなと思ったので記録しておくことにした。