日中国交正常化40周年
今年は日中国交正常化40周年にあたる。40年前に当時の総理大臣田中角栄氏が中国を訪問して正常化を果たした、ということからそうなっている。
40年前の1972年9月29日北京にて日中共同声明調印がそれだ。周恩来と田中角栄との間で行われた。その後1978年には、日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約(中华人民共和国和日本国和平友好条约)が締結され、日本は高額なODA援助を中国に行うことを約した。内容は基本的に日中共同声明の文面を踏襲したもので、主権・領土の相互尊重、相互不可侵、相互内政不干渉が記述されている。中国側は賠償金請求を放棄する代わりに、日本側からODA等の巨額な経済援助を引き出した。
また1998年には平和と発展のための友好協力パートナーシップの構築に関する日中共同宣言(略称日中共同宣言)というものが江沢民国家主席と小渕恵三総理との間でなされた
そもそも日本と中国の関係が正常化されたとはどういうことか。40年前からのこうした一連の声明など以前にも全く交流が無かったわけではない。政府間の正式な交流が無かったというだけで、たとえば日本共産党などは元から中国共産党と深い関係があり、戦後も関係継続をしていたはず。また、中国からの日本人引き揚げ者が次々と帰国を果たした。「あの戦争から遠く離れて」や「大地の子」などを読むと、終戦直後に向こうに残らざるを得なかった日本人たちの苦悩がよくわかる。残った人たちの中には、紅軍に徴用された日本人もいた。この人たちは、接触した相手といい関係になっているケースが多い。
いずれにしろこういう具合に、個人レベルで中国と対応せざるを得なかった人たちにとって、こういった政府間の問題は何か意味があるだろうか。1977年に訒小平が復活して、改革開放政策を打ち出すと海外資本が流れ込み始め、今や経済は一体化し始めた感がある。そういう政治経済の流れとは別に、個人レベル、庶民レベルの交流があったはずで、それこそが本当に大切なことではないだろうか。