天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

南京事件

 野田首相の訪中が延期された。その理由が、12月14日は南京事件の起きた日として中国で記憶されており、問題の発生を回避するためとのことだ。
 南京事件とは?先日たまたま笠原十九司著の「南京事件」という岩波新書を購入していた。で、早速読んでみた。南京事件とはその犠牲者の数をめぐって種々説があるくらいの認識であった。ところがなんと、問題は数ではない。三十万という数が多すぎるとか何とかいう主張は、問題のすり替えとしか思えない。もっと重要な問題を含んでおり、我々のつい最近の祖先?親や祖父、曾祖父の世代の犯した過ちが何だったのかよくよく考えなくてはならない問題だった。
 私自身、家永教科書問題のずっと以前の教科書による教育で育ったので、こういったことはひとかけらも教えられることは無かった。教科書裁判という問題が起きていることはニュースで聞き知っていたが、問題の本質を見ることをしてこなかった。しているヒマがなかった、というのが実情だが、それでよしとするわけにはいかない。今まで知らずに過ごして来たことには大いに反省すべきだと思う。これほどのことなら、中国の人から日本人が嫌われても仕方がないと思ってしまうほど。
 事件が起きたのは1937年のこと。日本はすでに中国東北部満州国を作り(1932年)、中国本土に進出をしていた。そこから中国戦線の拡大か収拾かを巡って、国内の方針が定まらないままに、一部の軍部が独断先行をした。問題を列挙してみる。
・軍部の方針も統一されていない中での、一部の軍部の方針による進軍であったこと。
・進軍した軍隊は主に第二次上海事変からの転用であり、にわかに募集した兵が中心で軍の規律がゆきとどかない面があった。
・転用であったため、十分な兵站もなく食糧など現地調達としたこと。
・日本軍が南京に到達したときは、中国政府首脳や逃げ出す費用を持っていた上層階級は逃げ延びた後で、犠牲となったのは後をまかされた軍と逃げることもできない庶民だった。
・戦意のない兵隊や、戦いに無縁の一般人を殺害することは国際条約違反であること。(ハーグ条約
・結果、南京を攻め落としたことを天皇が追認していること。
 中国庶民に対する日本兵の暴挙は上海から南京への移動途中から始まる。南京開城後は野に放たれた無頼漢のごとくであった由。
 詳しくは書くのもはばかれるほどの惨状。
 今からは74年前ということになる。中国でも「80後」パーリンホウという80年代以降生まれの世代は、この惨状を具体的に知らない人が多くいるだろう。しかし、ここで起こったと似たような惨劇は中国のいたる所でも起きており、その犠牲となった方々の遺族の方々にとってはまだまだ現実の問題だ。中国戦争被害者を支える会というのもある。中国は遊びに行くところばかりではない。
 著者は本の最後で、このような本を書くことは「人類がこのような愚行を繰り返さないために、日本国民として・・・」ということを書いておられるが、今だに、つい最近アフガニスタンなどでは同じようなことが起きているように思える。