天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

7月7日は何の日

 7月7日といえば七夕であり、日中関係の上では盧溝橋事件の日だ。
2年前の今日は、盧溝橋事件から77年というイベントに参加して、いろいろ学んだ。
http://goo.gl/4u69xb
 撫順戦犯管理所というのがあって、日本のBC級の先般が罪を問われずに解放されたこと。そのことが日中の強い絆になっていること。そういうことを歌にして唄う合唱団の活動があること、などなど。

 今日は井上久士という人の講演があるというので、出かけてみた。場所は神田と水道橋の間にある東方学館。この前まで日中友好協会の本部があった古いビルだ。その2階の会議室。本部は財政事情のために少し離れた賃料の安い場所に引っ越した。
 会議室というので、広い場所ではないだろうと、あまり期待はしないで、でもせっかくのイベントであり、土日の活動にあまり参加できないので平日夜くらい枯れ木も山の賑わいとばかりでかけた。ところが以外にこれがよかった。
 狭い会議室に50人以上は来てただろうか。日中友好協会の東京都連合会の主催で、傘下の支部の人たちが集まった程度にしては盛況だった。派手な歌も映画も何もなく、プロジェクターに文字と写真で朴訥な講師の話を聞くだけではあったが。いかにもよく中国近代史を研究している方のようで、大切なことは逃さず話してくれた。
 時代的には、盧溝橋事件の前、満州事変から盧溝橋事件を挟んで、南京事件までの話だった。満州事変は、現地の軍部である関東軍の勇み足で始まったが、この盧溝橋事件は、橋の近くで銃声が聞こえたという理由で深夜に訓練中の日本軍が中国軍との間でいざこざが起きた。それも現地では収まったころに、日本が大量の軍隊を送り込み、中国を攻撃するわけのわからない名目を与えた。送り込まれた軍隊は戦わざるを得ない状態を作られて侵略戦争が本格化した。
 講師の井上さんは、駿河台大学の教授で日中友好協会の副会長を務める人だ。冒頭、今日は大学でゼミがあり、集まった学生に「今日は何の日か」と尋ねたところ、七夕以外の答えがなく、誰も盧溝橋事件の日とは言わなかった。うちの学校の学生のレベルが低いのかもしれない、などとあっさり言ってしまうほど朴訥な語り口で、それでいて私でもよく理解できる話しだった。
 参加者の中には、日中の学習会ではお馴染みの慶応大学の大西広教授もいた。
 結びの話は、日本は太平洋戦争で欧米に負けたが中国には負けていないという人がいるが、日本が受諾したポツダム宣言英米中の名において日本に対して発せられたものだ。したがって日本は中国と戦争して負けているのだということ。
 また、盧溝橋事件から拡大した戦争は当時の首都であった南京陥落で終わると思っていた日本は誤算であった。当時から蒋介石は首都南京が落ちたくらいでは中国は負けないと言っていた。その後、武漢重慶と首都を移して戦い続けた。
 中国の勝因を井上氏は内戦をやめて共闘して日本に向かったことにあるとし、今の日本の情勢も野党がしっかり共闘すれば勝利できると言いたいようであった。