天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

67 「南京事件」を調査せよ 清水潔

 事件記者の清水氏が、南京事件を取材した。

 日本では、南京事件など無かったと言う人がいるが、この事実の取材記事を読むと、事件が無かったなどというのは、この日本の悪事を隠蔽したい者達だということがよく分かる。
 この本の多くの部分は、日本軍が南京に攻め入った時、そこにいた中国軍隊はほとんど抵抗することなく投降したが、その捕虜たちを揚子江河畔に連れ出して皆殺しにし、死体は揚子江に流したという出来事を当時の体験者の日記などを取材し、掘り起こす作業の記録となっている。
 その場所は1か所ではなかった。場所の地図や、集められた中国兵士の写真、連行される行列、兵士の集団が河の方を向いて一斉に銃殺されて倒れている様子など、写真も掲載されている。
 中国側の言う30万人の虐殺が、当時の南京の人口が20万であったことを理由に、虐殺事件がねつ造だという説があるが、長江河畔で殺害された捕虜の数だけでも3万人ほどになる。それに、南京に進軍する過程の出来事や、市内で便衣兵掃討として手当たり次第に市民を殺害した数などを考慮すると、相当数に及ぶことは容易に推察される。数が問題なのではなく、こういう行為の結果、庶民にとんでもない悲しみを与えた事実が問題だ。
 一般市民への集団虐殺行為は、南京にとどまらず各地で行われた。ということは今や周知の事実となっている。
 この本は、取材対象が南京だけでなく旅順に及ぶ。旅順は、私も以前大連から203高地まで出かけたことがあった。当時は、日露戦争でこの地を攻略するために乃木希典が兵隊の命を湯水のように消耗した、その場所だという感慨を持って旅したものだが、実は日露戦争に先立つ日清戦争の場面で日本軍は旅順で一つの集落の住人を丸々殺害する虐殺事件を起こしている。理由はそこの戦闘の際に戦死した日本兵の遺体が損壊されたということだった。その報復と便衣兵(私服をまとった兵隊)の掃討ということで一つの村を全滅した。
 その慰霊碑がなぜか二つある。それは、三国干渉により引き揚げた日本が、日露戦争で再びこの地を攻略し、領有した際に虐殺事件の隠ぺいのためにこの碑を撤去した。しかし日中戦争の敗北後に、再度新たな碑が立てられた。その後、元の碑が発見されて二つになった由。
 南京事件に先立つ、この旅順虐殺事件でも過去の悪事を隠蔽するのが日本のやり方らしい。
 中国の学校では、南京虐殺と並んで旅順虐殺を教わるらしい。
 第二次大戦終了後、ドイツはアウシュビッツなどのナチの悪事をすべてさらけ出し、二度と起きないような政策を展開している。しかるに、日本は戦時中の悪事だけでなく、原発事故すらすでにコントロールされているとウソをついて隠蔽しようとする。
 実際この本には、現在の安倍政権の問題まで踏み込んでいる。と同時に、各人が事実から目を背けることが無いよう、また中国へのヘイト意識が潜在的にあるのではないかと警鐘している。自分はどうかな。多くのいろいろな立場の中国人と知り合いになったので、国籍に関わらず個人個人への対応をしていると思う。
 本の帯の裏に「知ろうとしないことは罪」とある。