天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

日中大学フェア in 池袋

 数日前、元中国は北京大学留学生の加藤嘉一さんのブログを見ていたら、本日池袋のサンシャインで講演会があるというのを見た。今朝になってどうしようかと思ったが、行ってみた。池袋は8月に豊島公会堂で中村医師の講演会に行って以来だ。
 すっかり秋めいて涼しくなった自宅付近を出て、池袋に着いたら暑かった。まずはサンシャインビルの2階で、日中大学フェアの展示会場に行ってみた。会場に入ると正面で、中国語でガンガン何か説明をしている。という大学の説明だ。このイベントは日本と中国の大学を紹介しあい、お互いに留学生を迎え入れようというものらしい。清華大学、華中科技大学など知っている中国の大学のブースが沢山並んでいる。日本の大学も東京大学以下、国立・公立・私立を問わずブースが出ていました。当然我が母校も!
 さてそのあと、講演会場に向かう。当日入場可とあったので、予約をしないで来たがやはり予約をしたほうがよかった。加藤嘉一氏はもはや有名人なのでずいぶん人が集まるだろうと思ったが、意外と狭い会場だった。
まずは行列。予約ある人の列と、無い人の列が作られた。私は無い人の先頭になった。これなら会場狭しといえども入れないということは無いだろうと安心したが、椅子は無かった。カーペットの床にじか座り。大半が若者で、おじさんとおばさんが混ざっているという感じ。
 彼は話すときはぶっつけ本番と言いながら、この会場に来る電車の中でメモをしたりしてきたらしい。まず人生は生存、次に成長、そして幸福だときた。うまいことを言う。「生存」と言う言葉は、かの中村医師がアフガニスタンで混乱する情勢の中で病気になった人たちに「まず生きておれ、病気は後で治す!」と語ったことに通ずる。
 それから彼の生い立ちだ。昔から世界地図を見ては外にあこがれたこと。3歳のときに事故で生死をさまよう経験をしたこと。駅伝ランナーだったこと。よき理解者と家庭に恵まれて育ったことなど。それから彼の北京大学時代のエピソード。
 大学時代の活動として「京論壇」というのを立ち上げて今も継続しているらしい。これは同じ京の字がつく北京大学東京大学の学生による討論会だ。会話は日中のどちらでもない、ニュートラルな英語で行われるとのこと。
 さて本題として色々なことを話していたが、要するに日本の若者は元気が無く、中国の若者の方が元気いっぱいということ。これは時代的に仕方のないことでもある。経済成長を果たした国と、成長さなかの国との違いがある。
 本日10月10日は辛亥革命100周年ということもあり、近代史の話も避けては通れない。その中で、中国は孫文によって革命を達成し、訒小平によって改革開放を果たした。この二つの出来事が今の中国を作ったのだ、と言う。うまい言い方だ。毛沢東文化大革命については触れない。彼自身日本的にはポストバブル世代で、中国的には80後(パーリンホウ:80年代生まれ)であり日中戦争後の大躍進や文化大革命は聞いた話であり、現実感がないのかもしれない。そうかな?
 質疑応答の時間で最初に指名されて立ったのは、青山学院に留学中の湖南省長沙出身の青年だったのだが、毛沢東の出身地ということで、加藤氏は毛沢東を尊敬しているなどと言った。他にも毛沢東の言葉を少しだけ引用して話をした。これは中国の人たちに対するジェスチャーだと私は受け取った。そういう言葉を聞いた中国の若者はとまどうのではないだろうか。
 会場の若者の半分以上は中国人だったのではないだろうか。手を上げて発言した人たちの半数以上が中国からの留学生だった。女子学生たちは、ルックスもよくて中国の良き理解者である加藤氏のファンのようだった。
 加藤氏は、若いと言えども北京大学で並々ならぬ努力をし、今のポジションを作り上げただけあって話の結びはとてもよかった。共感できるものだった。現在の日本がビジョンが見えないことにふがいなさを感じているようだが、これは愛国心の表れでもある。日本の青年たちに、日本のパスポートを持っていれば中国はおろか、世界のどこにでも行ける。そういう日本ブランドは天から降ってきたのではない。先人達が築き上げた日本が、今や世界に通じるものとなったのだ、と語りかける。
 更に中国の女性や、日本の若者達との意見の交換を見ていて、とても嬉しい気持ちになった。こういう日中の若者たちがいれば、今後の日中関係は心配に及ばない。
 休日にわざわざ一人池袋まで出かけたが、いい一日だった。